Category [桂小五郎(木戸孝允) ] 記事一覧
山口の木戸孝允旧邸跡と木戸神社
山口県山口市の木戸孝允旧邸跡です。木戸孝允は、慶応年間にここに本邸を新築し、山口藩庁政治堂に通っていました。当時の家は瓦葺の平屋で、広さは約80平方メートルで四間ぐらいのもので、大正になって約100メートル東側に建て替えられました。当時ものとして、石垣と南側にある裏門が残っています。木戸神社明治10年(1877年)、木戸孝允は死に臨んで「山口の糸米(いとよね)村にある木戸家の旧宅・田畑・山林を糸米村へ寄付し、...
木戸孝允の神道碑(勅撰碑)
京都東山の京都霊山護国神社墓所での階段を上ると、すぐ正面に見えてくるのがこの木戸孝允の神道碑(勅撰碑)です。神道碑は国家に功績のあった人物の墓所参道に建てられる碑で、その人物を顕彰する役割を持つそうです。明治維新以降、大久保利通・毛利敬親・大原重徳・岩倉具視・広沢真臣・島津久光・三条実美・木戸孝允の神道碑が明治天皇の命により建立されました。明治天皇の勅命により建立されたことから「勅撰碑」とも呼ばれ...
京の木戸孝允(桂小五郎)邸宅跡と達磨堂
河原町丸太町バス停から約5分のところに、お宿いしちょうと旅館・石長松菊園があります。この一帯に、小五郎が、近衛家の下屋敷を譲り受け、別邸とした木造二階建ての公卿屋敷で、尊皇攘夷、討幕運動の拠点としていた屋敷のひとつがありました。お宿「いしちょう」お宿「いしちょう」前の石碑旅館・石長松菊園石長(いしちょう)の名前は、当主の姓「石井」の石を取り、「長」は長州藩の長ををもらい、「長」は長く栄える意味が含ま...
維新の志士ゆかりの瓦屋跡
松田屋ホテルのちょうど裏側に「瓦屋跡」の碑があります。瓦屋は幕末から明治初期にかけて、木戸孝允(桂小五郎)など維新の志士たちが利用した旅館です。松陰門下生の山田顕義の妻は瓦屋の娘です。山田 顕義山田 顕義(やまだ あきよし、天保15年10月9日(1844年11月18日) - 明治25年(1892年)11月11日)は、日本の江戸時代末期(幕末)の武士(長州藩士)、明治時代の政治家、陸軍軍人。諱は顕孝、のち顕義と改めた。幼名は市之...
幾松(3)豪華なランチ
「幾松の部屋」での説明が終わり、再び食事の部屋へ 後で知ったのですが、この書は西郷隆盛によるものなのだそう。 お料理は、個室でのミニ会席(6,667円)をいただきました。この時は9月でした。 9月といえば、重陽の節句。 食前酒は菊酒。風流な気分が味わえますね。 お吸い物にも菊の花が散りばめられています。 いくらが添えられたゴマ豆腐など、優しいお味のものが並びます。 次々と美しいお料理が運ばれてきます。 鯛、まぐ...
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