Category [山内容堂 ] 記事一覧
土佐藩築地邸跡
東京の中央区役所の前に、土佐藩築地邸跡の案内板があります。江戸時代前期、この地は埋立てられ武家地や町人地となりました。その後、この一帯の土地がまとめられ、土佐藩山内家が拝領し、初代山内一豊から十六代豊範までこの地に住んでいたそうです。この地は、江戸時代前期に埋立てられ、武家地や町人地となりました。文政九年(1826)、この一帯の土地がまとめられ、土佐藩山内家が拝領しました。山内家は中屋敷ないし下屋敷にし...
山内容堂の墓
土佐藩下屋敷跡から鮫洲方面へ向かい、立会小学校の隣りある大井公園を目指します。すると、公園の入り口に「山内容堂の墓」の案内板があります。山内容堂の墓「贈従一位山内豊信公之墓」と刻まれています。山内容堂幕末の土佐藩主。名は豊信(とよしげ)。容堂は号で,ほかに鯨海酔侯(げいかいすいこう)などの別号をもつ。20歳で藩主となり吉田東洋らを起用して藩政改革を行なった。1857年―1858年将軍継嗣問題の際,松平慶永,島津...
土佐高知藩山内家下屋敷跡
浜川砲台から土佐藩下屋敷跡へ品川区東大井三丁目の土佐藩山内家下屋敷があった場所は、現在は中学校や住宅地となっています。黒船到来時、坂本龍馬はこの下屋敷に滞在し、沿岸の警護にあたったものと考えられます。浜川中学校維新後まもない明治2年に、日本で最初のビール工場が下屋敷跡に建設されましたが、後に廃業となりました。このビールは、現在「品川縣ビール」として復刻されているそうです。 立会川沿いの高知藩山内家...
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