Category [山岡鉄舟(西郷どん) ] 記事一覧
全生庵 山岡鉄舟の墓
東京の台東区谷中にある全生庵を訪ねました。ここは、江戸開城の功労者で、宮内省御用掛を務めた山岡鉄舟が、明治16年(1883)幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために建立した寺です。本尊はかつて江戸城の守り本尊だった葵正観世音菩薩。山岡鉄舟は、旗本・小野朝右衛門と磯の子として江戸に生まれ、剣を北辰一刀流・千葉周作に、槍を刃心流・山岡静山に学び山岡家を継ぎました。高橋泥舟の義弟に当たります。後...
山岡鉄舟ゆかりの鉄舟寺
清水の鉄舟寺は、山岡鉄舟ゆかりの寺として知られています。飛鳥時代藤原氏の出身である久能忠仁によって久能山東照宮付近に建立され、その後、奈良時代に行基が千手観音を安置し、久能寺と号したと伝えられています。1570年(永禄13年)武田信玄が久能山に城を作る(久能城)ため現在地に移されました。仁王門江戸時代には朱印寺領として200石余りを与えられ、栄えていましたが、江戸時代後期あたりから衰退し、明治には無住とな...
西郷隆盛・山岡鉄舟会見の地
寛永寺で謹慎中の徳川慶喜を護衛していた高橋泥舟の義弟で、精鋭隊頭の山岡鉄太郎(鉄舟)が、慶応4年(1868年)3月9日勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、官軍の駐留する駿府(現静岡市葵区)に赴くことになりました。山岡は西郷を知らなかったこともあり、まず陸軍総裁・勝海舟の邸を訪問。勝は西郷への書状を認め、薩摩藩焼き討ち事件の際に捕らわれた後、勝家に保護されていた薩摩藩士・益満休之助を護衛につけて送り出しました...
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