大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [江~姫たちの戦国~ ] 記事一覧

真田信繁(幸村)らを討ち取った松平忠直

松平忠直は、徳川家康の次男・結城秀康の嫡男で、慶長12年(1607年)、父親の遺領を継いで越前北庄(福井)68万石の当主となりました。慶長16年(1611年)には徳川秀忠の娘・勝姫(天崇院)を正室に迎えます。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、二万以上の兵を率いて、真田丸の攻撃を行いましたが、進撃命令が出ないのに、無理な突撃を敢行して、真田幸村(信繁)の罠に嵌り、真田勢の攻撃により大敗。軍令違反の攻撃のうえに大...

大坂夏の陣 「徳川秀忠の御旗奉行を務めた安藤正次の墓」

大阪市平野区の樋尻口地蔵堂向かいに安藤正次の墓あります。安藤次右衛門尉正次は徳川家の二千石の旗本で、御旗奉行として徳川秀忠に直属し、元和元(1615)年5月7日、大坂落城直前に秀忠の使者として前田利常、本多康紀両軍に、敵陣へ肉薄するようにとの命令を伝えました。 その際に、数騎の敵兵に出会い、首級を挙げたが自らも重傷を負い家来に助けられて撤退した。その活躍を秀忠に功名したと称されましたが、宿舎にしていた平...

大阪の冬の陣 徳川秀忠の本陣跡・御勝山古墳

御勝山古墳は、5世紀前半に築造された南北112m、東西55m、高さ約8mの前方後円墳です。現在は前方部が御勝山通りと御勝山南公園になり、後円部のみ残存しています。一説によると、大小橋命(オオバセノミコト)の墓であるともいわれていますが定かではないそうです。昔は岡山とも呼ばれていましたが、1614~1615年、大阪冬の陣、夏の陣で徳川秀忠が本陣をここに構え、その戦勝を記念して御勝山と呼ばれるようになりました。その戦の...

細川ガラシャゆかりの地 越中井と大阪カテドラル聖マリア大聖堂

JR大阪環状線・森ノ宮駅から徒歩で15分のところにある越中井史蹟 越中井由来ガラシャ夫人の名だけ聞いてもどんな人なのか知らない人が多いのではないでしょうか ガラシャは細川越中守忠興公の夫人で熱心なキリシタン信者でありました慶長5年(1600年)忠興公が徳川家康に従って会津上杉を征伐に出陣した留守中反家康の石田三成が大名妻子たちを大阪城中に人質にしようとしたがガラシャ夫人は聞き入れず石田三成に取囲まれぜ...

細川ガラシャゆかりの勝竜寺城

勝竜寺城は、現在の京都府長岡京市勝竜寺にあった城で、細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城として知られています。天正6年(1578年)8月、細川藤孝の嫡男・忠興と明智光秀の娘・お玉(細川ガラシャ)がこの城で結婚式を挙げ、2年間新婚時代を過ごしたとされています。後年の山崎の合戦では明智光秀がここに本陣を構えました。細川藤孝は天正9年(1581年)に丹後に入封し、代わって村井貞勝の家臣矢部善七郎、矢部猪子兵助の両名が...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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