大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [江~姫たちの戦国~ ] 記事一覧

家康の側室の子・長丸誕生 「徳川秀忠誕生の井戸」

徳川秀忠は、徳川家康の三男として、遠江国(静岡県)浜松に生まれました。幼名は長丸。のち竹千代。母は側室の西郷局。彼女は、浜松城に奉公に出て、家康の目に止まり、二代将軍の秀忠を生みました。同母弟は、四男松平忠吉。長兄・松平信康は秀忠の生まれた年に自害、次兄の秀康は、秀吉の養子に出され、のちに結城秀康となったため、また母親が三河の名家であるということもあり、秀忠が、実質的な世子となりました。天正18年(15...

本多肥後守忠真の戦功碑

犀ヶ崖資料館の敷地内に本多肥後守忠真の戦功碑があります。本多忠真は、徳川家草創期を支えた徳川四天王の一人である本多忠勝の叔父にあたります。忠真は、三方ヶ原の戦いで、撤退の際、しんがりを買って出ました。共に参戦した息子の菊丸に家康公を守るようにと言い残し、刀一本で敵の中に斬り込み、討ち死にしました。菊丸は父の命により、家康を援護し、浜松城に無事退却しましたが、父や友の死を目前にし、世の無常を感じて、...

真田信繁(幸村)らを討ち取った松平忠直

松平忠直は、徳川家康の次男・結城秀康の嫡男で、慶長12年(1607年)、父親の遺領を継いで越前北庄(福井)68万石の当主となりました。慶長16年(1611年)には徳川秀忠の娘・勝姫(天崇院)を正室に迎えます。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、二万以上の兵を率いて、真田丸の攻撃を行いましたが、進撃命令が出ないのに、無理な突撃を敢行して、真田幸村(信繁)の罠に嵌り、真田勢の攻撃により大敗。軍令違反の攻撃のうえに大...

大坂夏の陣 「徳川秀忠の御旗奉行を務めた安藤正次の墓」

大阪市平野区の樋尻口地蔵堂向かいに安藤正次の墓あります。安藤次右衛門尉正次は徳川家の二千石の旗本で、御旗奉行として徳川秀忠に直属し、元和元(1615)年5月7日、大坂落城直前に秀忠の使者として前田利常、本多康紀両軍に、敵陣へ肉薄するようにとの命令を伝えました。 その際に、数騎の敵兵に出会い、首級を挙げたが自らも重傷を負い家来に助けられて撤退した。その活躍を秀忠に功名したと称されましたが、宿舎にしていた平...

大阪の冬の陣 徳川秀忠の本陣跡・御勝山古墳

御勝山古墳は、5世紀前半に築造された南北112m、東西55m、高さ約8mの前方後円墳です。現在は前方部が御勝山通りと御勝山南公園になり、後円部のみ残存しています。一説によると、大小橋命(オオバセノミコト)の墓であるともいわれていますが定かではないそうです。昔は岡山とも呼ばれていましたが、1614~1615年、大阪冬の陣、夏の陣で徳川秀忠が本陣をここに構え、その戦勝を記念して御勝山と呼ばれるようになりました。その戦の...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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