Category [調所広郷 ] 記事一覧
鹿児島の旅(65)琉球館跡
鹿児島市小川町の長田中学校に、琉球館跡の碑があります。慶長14(1609)年、島津家第18代家久は琉球に兵を出して、琉球を薩摩藩の支配下におきました。その後、毎年正月に琉球からやってくる使者の滞在する場所を琉球仮屋といっていましたが、天明3(1783)年からは琉球館とよぶようになり、琉球からのいろいろな産物を取りあつかい、藩に大きな利益をもたらしました。(「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック」より)この地は、薩...
鹿児島の旅(63)調所笑左衛門広郷邸跡
平田靱負屋敷跡(平田公園)の北側には、薩摩藩の家老・調所笑左衛門広郷邸跡(鹿児島市平之町)があります。調所広郷(ずしょ ひろさと、安永5年2月5日(1776年3月24日) - 嘉永元年12月19日(1849年1月13日))江戸後期の薩摩(さつま)鹿児島藩士。通称笑左衛門(しょうざえもん)。使番,町奉行を経て1825年側用人,1833年家老となる。この間その手腕を認められ,藩主島津重豪(しげひで)より500万両の負債をかかえた藩財政の改革を...
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