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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [長宗我部元親 ] 記事一覧

土佐の旅(125)雪蹊寺 長宗我部信親の墓

さらに、雪蹊寺境内をまわってみましょう。馬頭観音菩薩太玄塔雪蹊寺が廃仏毀釈の後、再興に尽力した十七世・山本太玄宜點和尚のために、養子嗣法 ( しほう ) となった玄峰和尚が建立した塔で碑文は裏側に刻まれています。碑文の一節には、「文政九丙戌年 ( 1826 ) 京都ノ公家ニ生マル幼時花園桂春院ノ徒トナリ長ジテ岡山国清寺月珊 ( こくせいじげっさん ) 和尚ニ師事シ三十餘歳ニシテ茨木本源寺ニ住ス明治十二年本山妙心寺ノ特命...

土佐の旅(124)雪蹊寺 

雪蹊寺は、高知市長浜にある寺院で、四国八十八箇所霊場の第三十三番札所。本尊は薬師如来。 弘仁年間(810年から823年)、弘法大師の開基と伝えられています。寺は一時衰退していましたが、月峰和尚を住職として、長宗我部元親の保護することとなり、臨済宗妙心寺派に改宗。元親の死後、子の盛親は父・元親の菩提寺と定め、元親の法号『雪蹊恕三』にちなみ高福山雪蹊寺と改めました。。また、仏師・運慶の作と伝えられる本尊薬師...

土佐の旅(123)秦神社

長宗我部元親の菩提寺である雪蹊寺が廃仏毀釈により明治3年(1870年)に一時廃寺となったため、元親の弟の親房の子孫と称する島弥九郎与助たちが、土地の有志たちとともに再三高知藩庁に働きかけ、秦神社の創建を請願し、雪蹊寺に安置されていた元親公木像(県指定文化財)、肖像画(国指定の重要文化財)、戸次川戦没者の霊板、山内忠義奉納の絵馬などを貰い受け、明治4年、長浜城山麓の元の雪蹊寺跡に秦神社を創建しました。社名...

土佐の旅(122)長浜城址

秦神社と雪蹊寺の背後の山が、本山氏の支配下にあった長浜城址です。長宗我部元親の父・国親が種崎城に送った兵糧を本山氏の兵に奪われ、怒った国親は長浜城を急襲し攻略。長浜城城主は、本山茂辰に急を告げ、長浜城奪還のため押し寄せた本山軍と長宗我部軍が対決。この戸ノ本の戦いに、元親も参加し、彼の初陣となりました。(高知市HP参照)長浜の戦い国親は本山領への本格的な侵攻を企図するが、本山方の前線にあった長浜城(高...

土佐の旅(121)島浪間の墓

雪蹊寺の西側には、勤王の志士・島浪間の墓があります。幕末の志士、通称を浪間または並馬、字を義親、天保十四年 ( 1843 ) 長浜村塩谷 ( 現高知市長浜 ) に父興助 ( よすけ ) 重親の二男として生まれました。遠祖は長宗我部元親の弟の島弥九郎親益で、浪間は長宗我部四郎を一時名乗っていました。文久三年 ( 1863 ) 八月、吉村虎太郎らと天誅組の義挙に参加しました。その後元治元年 ( 1864 ) 十一月、井原応助、千屋金策、備前岡...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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