Category [平清盛 ] 記事一覧
京都御苑に残る史跡(14)厳島神社
厳島神社といえば、安芸の宮島が真っ先に浮かぶでしょうが、京都御苑の九条邸跡の中にも厳島神社があります。平清盛が母・とされる祇園女御のために安芸の厳島神社を勧請したのが始まりで、当初は兵庫の築島にありましたが、後にこの地に移されたと伝わっています。厳島神社祭神 市杵島姫命 湍津姫命 田所姫命 祇園女御 当社は往昔 平相國清盛公 安藝の國佐伯郡に坐す厳島大神を崇敬の余り摂津の國 菟原郡兵庫築島(神戸...
「平清盛」ロケ地・油日神社
油日神社(あぶらひじんじゃ)は甲賀市甲賀町油日に鎮座する神社です。重要文化財である回廊付きの楼門創祀年代は不詳。社伝によると、用明天皇または天武天皇の頃の創建とも、聖徳太子が社殿を建立したともいわれています。昔、この山頂に油日大明神(あぶらひだいみょうじん)が降臨し、そのとき大光明を発したので、「油日」の名が起こったといいます。山頂に「岳大明神(だけだいみょうじん)」の奥宮が祀られ、奥宮に対する里...
夢の終わり 清盛の最期
治承4年(1180)、4月以仁王の反乱 6月、清盛は福原遷都を決行 8月、頼朝挙兵 10月、富士川の合戦で、敗退 11月、京へ還都治承5年(1181)、1月高倉上皇崩御、後白河の院政復活このような背景をもとに、清盛は京を中心に新体制を築こうと、宗盛を惣官に任じ、畿内周辺から兵士・兵糧を徴収する権限でした。これは、畿内を反乱勢力から守るためでした。宗盛を関東に追討使として...
瀬戸内紀行(18)安芸川尻の宝積寺・清盛の書
安芸川尻の宝積寺清盛が一門の繁栄を願い、1158年に参拝して三日三晩、平家一門の繁栄と武運長久を祈ったという秘仏・十一面観世音菩薩像がこちらに安置されています。今年は、大河イヤーに合わせ、3月中旬から約半年間、特別公開されたそうです。時期が合わず、見ることはできませんでしたが、写真が飾られています。また、清盛直筆の書(写し)と伝わる額が保管されています。清盛が植樹したという松の写真現在は枯れてしまった...
瀬戸内紀行(15)尾長天満宮
尾長天満宮広島駅から北に徒歩15分、坂の上に立ち、長い階段を上ったところにあります。祭神は学問の神の菅原道真公平清盛ゆかりの地「尾長天満宮」尾長天満宮は菅原道真公が901年(延喜元年)大宰府に向かわれる際に立寄られた所です。平安時代、平清盛が安芸守であった時、厳島に参詣の途中現在の尾長天満宮付近にさしかかった際、激しい豪雨と落雷に遭遇し絶体絶命の窮地に陥った。その折、菅大臣菅原道真公のご加護を祈り九...
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