FC2ブログ

大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [徳川家康(麒麟がくる) ] 記事一覧

曳馬城跡に建つ元城町東照宮

浜松城の前身は引馬(曳馬)城といい、1560年、今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、徳川家康が引馬城を攻め落としました。1570年、岡崎城を息子の信康に譲り、曳馬城に入城。しかし、引馬という名は馬を引く=敗北を思わせ、縁起が悪いということで、浜松荘と呼ばれる荘園から名をとり、城名・地名を「浜松」としました。現在、引間城本丸跡に元城町東照宮が建っています。明治19年旧幕臣・井上延陵の発起により創建されまし...

家康が逃げ込んだ大樹寺

永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで、今川義元を失った今川軍は潰走、拠点の大高城で織田方の水野信元の使者からの今川義元討死の報を聞いた松平元康(のちの徳川家康)は、岡崎の松平家の菩提寺・大樹寺に手勢18名ととも逃げ込みました。しかし寺を囲んだ追撃の前に絶望した元康は、先祖の松平八代墓前で自害して果てる決意を固め、第13代住職登誉天室に告げると、登誉は問答の末「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえどごんぐじょうど)」...

牛久保史跡巡り(2)牛久保城跡

牛久保城は三河国宝飯郡牛久保にあった平城です。享禄2年(1529年)に宝飯郡の牧野城主であった牧野成時(古白)の子、成勝が築城したと伝えられています。以来、成勝、貞成、成定、康成の牧野氏4代にわたる居城となりました。牧野成定の時代の1561年(永禄4)に、前年の桶狭間の戦いで今川氏から自立して三河の平定に乗り出した松平元康(徳川家康)の奇襲攻撃を受けますが、この奇襲は失敗し、牛久保城はしばらくの間、今橋城(...

清見寺(4)書院~潮音閣

書院に進んでいきます。慶応三年(1867)の建築で、明治天皇御成の間があります。欄間には、清見関跡から出土した板が飾られています。玉座違い棚潮音閣潮音閣からの眺め眼下に駿河湾を望み、昔は正面に三保の松原が見渡せたそうです。今ではビルが建ち、境内を線路が横切ったりと、だいぶ景観が損なわれてしまってのでしょうね。明治時代には、皇室の方々や、夏目漱石、島崎藤村、高山樗牛、北原白秋、与謝野晶子など、多くの文人...

清見寺(3)徳川家康手習いの間~名勝庭園

今川氏に人質として駿府にいた徳川家康は、清見寺の住職・太原雪斎に師事し、ここで勉強していました。また晩年、大御所として駿府に隠栖した際には、当時の住職大輝和尚(第三世)に帰依し、再三に渉って清見寺に来遊しました。家康の三女・静照院殿よりは、彿殿の本尊釋迦弁尼仏と大方丈の大玄関の寄進を受けたりと、徳川家との諸々の縁で、清見寺は三葉葵の紋を許され、江戸時代260年の間、二百余石の朱印地を有し徳川一門の帰依...

左サイドMenu

プロフィール

しずか

Author:しずか
毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

大河ドラマに恋して - にほんブログ村

最新記事

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

光 (3)

FC2カウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
62位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
15位
アクセスランキングを見る>>

アクセス解析