FC2ブログ

大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [徳川家康(麒麟がくる) ] 記事一覧

清見寺(4)書院~潮音閣

書院に進んでいきます。慶応三年(1867)の建築で、明治天皇御成の間があります。欄間には、清見関跡から出土した板が飾られています。玉座違い棚潮音閣潮音閣からの眺め眼下に駿河湾を望み、昔は正面に三保の松原が見渡せたそうです。今ではビルが建ち、境内を線路が横切ったりと、だいぶ景観が損なわれてしまってのでしょうね。明治時代には、皇室の方々や、夏目漱石、島崎藤村、高山樗牛、北原白秋、与謝野晶子など、多くの文人...

清見寺(3)徳川家康手習いの間~名勝庭園

今川氏に人質として駿府にいた徳川家康は、清見寺の住職・太原雪斎に師事し、ここで勉強していました。また晩年、大御所として駿府に隠栖した際には、当時の住職大輝和尚(第三世)に帰依し、再三に渉って清見寺に来遊しました。家康の三女・静照院殿よりは、彿殿の本尊釋迦弁尼仏と大方丈の大玄関の寄進を受けたりと、徳川家との諸々の縁で、清見寺は三葉葵の紋を許され、江戸時代260年の間、二百余石の朱印地を有し徳川一門の帰依...

駿府城

14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏によって、この地には今川家の居館(今川館)が築かれ、今川家の居城となっていました。今川氏は隣接する甲斐国の武田氏、相模国の後北条氏と同盟を結び領国支配を行いましたが、16世紀には武田氏との同盟関係が解消され、武田氏の駿河侵攻により、居館は失われてしまいました。その後、武田氏は1582年(天正10年)に織田・徳川勢力により滅亡し、駿河の武田遺領は徳川家康が領有する...

今川家の人質になった竹千代

静岡駅北口駅前広場に、徳川家康像・竹千代像があります。竹千代像徳川家康像平成19年度に家康の駿府城入城四百年を記念し、「大御所四百年祭」展開してきた事業の一環として平成21年3月19日、銅像が設置され、像台座の題字は、徳川宗家第十八代当主・徳川恒孝氏によって書かれました。家康にとって駿府は、最長約25年を過ごした地です。今川家の人質として過ごした幼少期と江戸に移るまでの数年間、晩年の大御所時代の3度を駿府城...

竹千代(徳川家康)生誕の地・岡崎城(2)

元亀元年(1570)、徳川家康は本拠を浜松に移し、嫡男・信康を岡崎城主としました。天正7年(1579)に信康が自刃したあとは、重臣の石川数正、ついで本多重次を城代としました。天正18年(1590)に家康が秀吉によって関東に移されると、秀吉の家臣・田中吉政が城主となりますが、家康が江戸に幕府を開いてからは、譜代大名に守らせました。天守閣は、2階から4階までが江戸時代の岡崎を紹介する歴史資料館になっています。5階は展望室とな...

左サイドMenu

プロフィール

しずか

Author:しずか
毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

最新記事

最新トラックバック

カテゴリ

光 (3)

FC2カウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
49位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
15位
アクセスランキングを見る>>

アクセス解析