Category [水戸光圀 ] 記事一覧
水戸の旅(33)徳川光圀像(千波湖畔)
水戸黄門で知られる徳川光圀の像は、水戸市内に何体かありますが、この千波湖畔の像は、市民をはじめ多くの人々の寄付により、昭和59年3月千波湖畔に建立されました。その姿は東方を向き、水戸城跡を見つめているようです。千波湖千波湖八景(干拓される前の茨城県水戸市の千波湖において、その景勝地を「八景」の様式にならって8つを選んだ風景評価の一つ)は、光圀が千波湖周辺の佳景として選定したとされるものです。○七面山の秋...
水戸の旅(27)桂岸寺(けいがんじ)
今年の春訪ねた水戸の旅の続きです。水戸の桂岸寺は、正式名称を「大悲山保和院桂岸寺」と称し、地元では水戸谷中の二十三夜尊と呼ばれています。天和2(1682)年、檀海和尚の開山で、元は水戸市全隈町にあった普門寺を中山備前守信治が小松寺住職宥密(ゆうみつ)を説いて水戸藩家老中山信正の供養のため譲り受け、現在地に建立しました。当初は香華院(こうげいん)と称されていましたが、元禄7(1694)年、徳川光圀の命により保...
水戸の旅(10)大日本史編纂之地~旧水戸彰考館跡~茨城師範学校跡
水戸第二中学校の前に「大日本史編纂之地」、「旧水戸彰考館跡」の石碑があります。水戸第二代藩主・徳川光圀は、明暦三年(1657)に大日本史(412巻)の編集を始めました。 旧水戸彰考館跡彰考館跡 水戸第二代藩主義公(徳川光圀)は修史の志をたてて、明暦3年(1657年)に大日本史(402巻)の編集をはじめた。寛文12年(1672年)にその編集所を彰考館と名付けた。彰考とは「歴史をはっきりさせて、これからの人の歩む道を考える。」...
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