Category [三条実美(青天を衝け) ] 記事一覧
七卿落ちと妙法院
京都市東山区の妙法院は、文久3年(1863年)八月十八日の政変によって、三条実美ら尊皇攘夷派の公卿7人が京都から追放された「七卿落ち」の舞台ともなっています。大玄関妙法院の宸殿に集合した長州藩士と三条実美ら七人の公卿は、話し合いの結果、長州に落ち延びて再起を図ることを決断。宸殿久坂玄瑞が、その時の切ない心情を、後に「七卿都落舞歌」と呼ばれる歌に籠めたといいます。「久坂玄瑞義助七卿落舞歌」世は刈り菰と乱れ...
八月十八日の政変と堺町御門
上京した久坂玄端は、三条実美らの尊攘派公卿と組んで、朝廷工作に努め、攘夷をするよう働きかけ、京都での主導権を握りました。久坂玄瑞三条実美幕府に、文久3年(1863年)5月10日を攘夷決行の日と約束させ、長州藩はそれを実行に移し、下関の海峡を通過する外国船を砲撃しました。しかし、長州藩は、その後、欧米艦隊から報復攻撃を受けますが、近隣の諸藩は傍観するのみ、攘夷実行を約束した将軍家茂も、京を離れ江戸に帰ってしま...
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