Category [五代才助(青天を衝け) ] 記事一覧
五代友厚の墓
大阪市阿倍野の大阪市営南霊園・阿倍野墓地に、五代友厚はじめ一族のお墓があります。阿倍野墓地の中央に、石の鳥居のある一際大きな墓で、「従五位勲四等五代友厚墓」と刻まれています。五代友厚の墓友厚は、明治18年(1885年)9月25日、東京の別邸で、糖尿病のため、49歳の若さで亡くなりました。北は淀川から南は大和川まで、御堂筋パレード以上の葬列の葬儀が中之島で行われたそうです。五代友厚顕彰碑五代豊子の墓友厚の二度...
大阪取引所と大阪市立大学の五代友厚像
大阪市中央区北浜1丁目にある「大阪取引所」の前にある五代友厚の像です。像の高さは7.6m。見上げるように台座が高いです(^_^;)諸藩の蔵屋敷があった江戸時代の大坂の米穀取引所を起源に、大阪市立大学の五代友厚らが発起人となって設立された大阪株式取引所が前身。堂島米会所で行われた帳簿上の差金の授受によって決済を行う「帳合米取引」が、世界で最初の公設の商品先物取引と言われ、この伝統から、大阪株式取引所の草創期...
大阪商工会議所の五代友厚像と若宮商工稲荷神社
「あさが来た」が放映された年、大阪の五代友厚ゆかりの地を訪ねました。谷町四丁目駅を降りると、駅構内にはこんな大きなパネルがありました。「あさが来た」ゆかりの地として、多くの方が訪れているのでしょうね。谷町四丁目駅から歩いて10分ぐらいのところに、大阪商工会議所があります。あさがなかなか言えなかった「しょうほうかいぎひょ」です(笑)ビルの前に、大阪商工会議所の会頭3人の銅像が設置されています。これらは...
鹿児島の「若き薩摩の群像」五代友厚像
鹿児島中央駅東口広場に「若き薩摩の群像」という非常に目立つ像があります。「若き薩摩の群像」は、薩摩藩がイギリスへ派遣した留学生一行の像です。 薩英戦争でヨーロッパの力を知った薩摩藩は、慶応元(1865)年、藩の優秀な青少年15名と使節団4名、計19名をイギリスに派遣しました。当時最年少だった長沢鼎は13歳でした。イギリスに渡った一行は、学問や技術を習得し、彼らの留学経験は日本の近代化に大きく活かされました。...
最新コメント