Category [西郷吉之助 ] 記事一覧
西南戦争と西郷隆盛
カゴシマシティビュー「西郷銅像前」で下車。すると、城山の麓に立つ軍服姿の西郷隆盛の銅像が目に飛び込んできます。西南戦争で新政府軍と戦い敗北し、この城山の地で自刃した西郷。没後50年祭記念として鹿児島市出身の彫刻家で渋谷の「忠犬ハチ公」の制作者・安藤照が8年をかけ製作し、昭和12年(1937年)5月23日に完成した銅像です。手前の公園には綺麗に花が植えられ、観光客の記念撮影のスポットとなっています。手前には、...
上野恩賜公園(1)西郷隆盛像
今年の春、上野の寛永寺から上野恩賜公園を散策してきました。上野の山は、江戸時代から「桜の名所」として知られ、桜の季節には、花見客で賑わうところです。その歴史がこの駒札に記されています。下町まちしるべ旧 上野恩賜公園 江戸時代初期、この地は津軽、藤堂、堀家の屋敷であったが徳川三代将軍家光は天海僧正に命じて寛永寺を建てさせた。寛永二年(1625)のことである。その後大きな変化もなく幕末を迎えるが慶応四年(186...
江戸城無血開城(4)愛宕神社
標高26メートル愛宕山は、当時江戸で一番見晴らしの良い場所だったそうです。ともに愛宕山にに登った二人は、江戸の町並みを見て、その美しさに感動し、勝が「この町を失いたくない」と西郷を説得したという説もあります。東京都港区の愛宕神社は、1603年、慶長8年、江戸に幕府を設く徳川家康の命により江戸の防火の神様として祀られました。慶長15年、庚戊本社をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等将軍家の寄進により、建立...
江戸城無血開城(3)池上本門寺
西郷隆盛と勝海舟の会見の地については諸説あるそうです。江戸城攻撃のために東征した官軍が本陣を構えた東京都大田区池上にある池上本門寺に、勝海舟が赴いて、西郷隆盛と会見したという説もあります。仁王門旧国宝の山門は、1945年(昭和20年)空襲で焼失。仁王門として1977年(昭和52年)に再建され、、アントニオ猪木をモデルにした仁王像が安置されましたが、近年の修理の際に本殿内に移設。新たな仁王像が2001年(平成13年)...
江戸城無血開城(2)西郷南洲勝海舟會見之地の碑
西郷隆盛と勝海舟の会談は2回にわたって行われ、一回目は3月13日は高輪の薩摩藩邸で、二回目は14日の田町の薩摩蔵屋敷で行われたといいます。そのひとつである田町の薩摩蔵屋敷の跡を訪ねました。JR田町駅近くの第一田町ビルの前に西郷南洲勝海舟會見之地の碑があります。この書は、西郷どんのお孫さんの吉之助さんによるものだそうです。田町薩摩邸(勝・西郷の会見地)附近沿革案内 この敷地は、明治維新前夜慶応4年3月14...
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