Category [新選組 ] 記事一覧
新選組と三条制札事件
三条制札事件は、1866年10月20日(慶応2年9月12日)に、土佐藩士8人が三条大橋西詰北の制札を引き抜こうとしたところ、新選組が襲撃・捕縛した事件です。元治元年7月19日に起きた禁門の変以降、三条大橋西詰の高札場に長州藩を朝敵とする内容の制札が掲げられましたが、市民たちからは長州藩へ同情する世論が高まっていました。1865年(慶応元年)に実施された第二次長州征伐の失敗以降、江戸幕府の権威は失墜し、1866年(慶応2年...
新撰組の屯所を移築した亀山本徳寺
山陽電鉄亀山駅に降りると駅と飾磨街道に挟まれるように位置しているのが、亀山本徳寺です。 永正12年(1515年)、蓮如配下の空善が飾磨郡英賀の英賀城下にを開山したのを始まりとし、英賀御堂・英賀 本徳寺と呼ばれ、播磨の浄土真宗の拠点として栄えました。しかし、天正8年(1580年)の豊臣秀吉の英賀城攻めの際、戦火を避けるために、秀吉に寄進された亀山へ移転させられ、亀山御坊本徳寺と呼ばれるようになりました。 山門の左...
新選組が屯所を構えた西本願寺
西本願寺は、下京区堀川通り六条にある浄土真宗本願寺派本山。大谷派に対し本派,東本願寺に対し〈お西〉と通称。山号は龍谷山。1272年親鸞の娘覚信尼が東山大谷に御影堂を開創し,亀山天皇から〈久遠実成阿弥陀本願寺〉の寺号を賜ったのに起源。親鸞を1世とし,3世覚如,8世蓮如により教勢を拡大。1532年山科本願寺が日蓮宗徒によって焼かれたので,10世証如は大坂石山本願寺(大坂御坊)に移ったが,11世顕如の時,織田信長と...
新選組屯所跡・八木邸
だいぶ前のことですが、壬生寺の北隣にある「新選組屯所跡」を訪ねました。屯所跡とは、新選組が西本願寺へ移るまで本拠地としていた八木邸のことで、母屋も長屋もそのまま残されています。隊士腰掛の石芹沢鴨が暗殺された部屋で、ガイドさんの話を聞くことに。ここでもまた別の修学旅行生と一緒でした説明の時間は30分ぐらいあったかな?なんだか人が殺された部屋に長居するのは嫌な気分でした。説明の後、屋敷内を一巡り。暗殺事...
池田屋騒動跡~三条大橋の刀傷
池田屋事件の舞台となった池田屋騒動跡は、現在は居酒屋「はなの舞」になっています。夜は居酒屋ですが、ランチの営業もやっています。歴史好きにはたまらないこのネーミング!店内はこんな感じです。二階に案内されると、マニアにはたまらない新撰組グッズの展示が近藤勇、土方歳三、沖田総司 、斉藤一などの名前が付いたランチから、私たちが頼んだのは、土方歳三のランチです!天麩羅、刺身、豆富、小鉢、ご飯、味噌汁、漬物、...
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