Category [源頼朝(鎌倉殿の13人) ] 記事一覧
鎌倉幕府の鬼門を守る荏柄(えがら)天神社
鎌倉市二階堂にある菅原道真を祀る荏柄天神社。鶴岡八幡宮の東方に位置し、鎌倉時代初期より鎌倉幕府との関わりが記録に見え、武家政権の守護神として、鶴岡八幡宮とともに信仰された神社です。社伝によれば、長治元年(1104年)、菅原道真を勧請し創立されたと伝わり、古くは荏柄山天満宮とも称される。創祀については、社蔵の江戸時代の書「相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起」によると、長治元年(1104年)8月25日に、空が突如暗くな...
高野山を訪ねて(4)西室院の源氏三代の墓
高野山の西室院は、もとは谷上院谷にありましたが、その後、南谷へ、明治時代に一心院谷の現在地の金光院跡に移転したそうです。こちらには、源頼朝の三男・貞暁が建てた源家三代の墓といわれる三基の五輪塔があります。江戸時代の絵図には4基の五輪塔が描かれており、「頼朝公」「頼家公」「実朝公」「二位殿」と、源氏三代に加え、北条政子の名前もあるそうです。 五輪塔は、以前は山門前にあったそうですが、現在は庭園「多聞...
鎌倉の大河ドラマ館(3)撮影の小物展示
衣装展示に続いて、撮影で使われた小物展示のコーナーです。後白河法皇が源頼朝に宛てた密旨以仁王の令旨源行家から頼朝に手渡された打倒平家を呼びかける以仁王の令旨上総介が身につけていた書状謀反の罪を着せられた上総介が暗殺ざれた後、彼の館にあった鎧の中から封書が発見された。その中には、「これ全て鎌倉殿の大願成就と東国の泰平のため」との想いが綴られていた。和田義盛の戦況報告の書状木曽義仲を討ち取った戦況報告...
護良親王をまつる鎌倉宮
鎌倉市二階堂にある鎌倉宮は、建武中興十五社の一社で、、後醍醐天皇皇子の護良親王を主祭神としています。1869年(明治2年)2月、武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武中興に尽力した親王の功を賛え、明治天皇は護良親王を祀る神社の造営を命じて自ら宮号を「鎌倉宮」と名づけ、7月に東光寺跡の現在地に社殿が造営されました。護良親王の通称である大塔宮(おおとうのみや)に因み、地元では大塔宮(だいとう...
頼朝が創建した瀬戸神社
京急線「金沢八景駅」より徒歩2分、横浜市金沢区瀬戸にある瀬戸神社は、瀬戸三島明神とも呼ばれています。元来、この地は入り江となっており、現在の瀬戸橋の位置にあたる狭い水路によって平潟湾に繋がっていました。干満時に急流となり、海上交通の難所であったため、水流の険しい「せと」を罪穢れを流し去ってしまう神聖なところであるとして、5~6世紀頃から海神が祀られるようになったといいます。治承4年(1180)、この地に源頼...
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