Category [北条時政(鎌倉殿の13人) ] 記事一覧
伊豆の国市 北条時政の館跡「北条氏邸跡」(円成寺跡)
伊豆の国市の守山西公園入口に「北条一族のふるさとと寺院」という案内板があります。北条氏邸跡がある守山は、北条氏の本拠地で鎌倉時代に伊豆北條と呼ばれていました。守山の東側には、願成就院が建てられ、北西側の谷の内部には館が建てられました。元弘2(1333)年、鎌倉幕府の滅亡後、北条一族の妻や娘たちは鎌倉から韮山に戻ると、邸宅跡に、一族の円成尼が中心となって、北条氏の冥福を祈るために円成寺を建てました。平成4年...
伊豆の国市 願成就院「北条時政の墓」
願成就院は、『吾妻鏡』によると、文治5年(1189年)に北条政子の父親で、鎌倉幕府初代執権であった北条時政が、娘婿の源頼朝の奥州討伐の戦勝祈願のため建立したといいますが、寺に残る運慶作の諸仏は、文治2年(1186年)から造り始められていることから、北条氏の氏寺として創建されたものと考えられています。大御堂その後、北条義時や北条泰時によって堂塔が整備され、巨大な池とその中の小島を橋でつなぎ、多くの堂宇や塔がそ...
伊豆の国市 北条義時子孫の寺・成福寺
韮山駅のすぐ西側に北条氏ゆかりの寺「成福寺」(じょうふくじ)があります。北条時宗の第三子の正宗が一族の菩提を弔うために創建し、正宗の長子・宗仁がこれを修造し成福寺となりました。ここは、伊豆国在庁官人であった平時家の持仏堂が前身だったそうです。平時家は北条時政の父、政子の祖父にあたります。浄土真宗大谷派の成福寺は、北条正宗入道によって1289年(正応2年)に建立されました。北条正宗は、鎌倉幕府八代執権北...
北条時政、源頼朝ゆかりの江島神社(6)岩屋~稚児ヶ淵
次は、江の島の最奥部にある海食洞窟「岩屋」に向かいました。多くの高僧や武将がここを訪れて祈願のため籠ったことを「江の島参籠」といってました。古くは弘法大師や日蓮上人も修行したといわれ、江の島弁財天信仰発祥の地として崇められてきました。養和2年(1182)には源頼朝が奥州藤原秀衡征伐を祈願したとも伝えられています。夏は岩屋に海水が入るので、昔は旧四月~十月の間は、岩屋本宮の神様を山の上の御旅所(奥津宮)...
北条時政、源頼朝ゆかりの(4)江島神社 中津宮~山ふたつ
次は中津宮を目指します。辺津宮から歩いて約5分。市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)が祀られています。度々の改修により、元禄二年当時の朱色が鮮明な社殿が再現されました。中津宮へ続く参道の両側には、江戸歌舞伎「市村座」と「中村座」が奉献した一対の石燈籠があり、昭和六十年(1985年)には、燈籠奉献二百年を記念して音羽屋七代目がしだれ梅を植樹しました。歌舞伎役者の手形も残されています。江の島歌舞伎中津宮か...
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