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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [後白河法皇(鎌倉殿の13人) ] 記事一覧

後白河法皇ゆかりの熊野神社(京都)

京都市左京区聖護院山王町にある熊野神社は、811年、修験道の日圓上人が紀州の熊野権現を勧請したのが始まりです。平安末期に熊野詣を頻繁に行っていた後白河法皇によって、熊野から持ってきた土や樹木によって整備されました。新熊野神社、熊野若王子神社とともに京都三熊野と呼ばれています。応永3年(1396年)室町幕府第3代将軍足利義満から広大な社地を寄進され、その境内は西は鴨川に至る広大なものでしたが、応仁の乱により...

後白河天皇ゆかりの今熊野観音寺

10日の大河ドラマは、選挙のため、お休みでしたので、今週はまだアップしていなかった番外編の記事を紹介しています。今日は後白河天皇ゆかりの京都のお寺です。泉湧寺の近くに今熊野観音寺というお寺があります。今熊野観音寺は熊野権現のお告げを受けた空海がお堂を建てたのが始まりで、熊野権現を篤く信仰していた後白河天皇が今熊野の地に熊野那智権現を勧請したので新那智山とも呼ばれています。頭痛持ちで苦しんでいた後白河...

後白河ゆかりの寺社と後白河法皇法住寺陵

京都市左京区聖護院山王町にある熊野神社は、811年、修験道の日圓上人が紀州の熊野権現を勧請したのが始まりです。平安末期に熊野詣を頻繁に行っていた後白河院によって、熊野から持ってきた土や樹木によって整備されました。新熊野神社、熊野若王子神社とともに京都三熊野と呼ばれています。応永3年(1396年)室町幕府第3代将軍足利義満から広大な社地を寄進され、その境内は西は鴨川に至る広大なものでしたが、応仁の乱により社...

後白河法皇ゆかりの長講堂

京都市下京区にある長講堂を紹介します。後白河法皇が六条殿内に持仏堂として建立し、法華経を長期にわたり講読したことから法華長講弥陀三昧堂を略して長講堂という寺名になったそうです。寺宝として、本尊阿弥陀如来及両脇侍像、後白河法皇木像があります。また法皇自ら死者の名を書き入れたという過去帳には、祇王、祇女やその母、仏御前、義経らしき人物の名も記されているとか。もと後白河法皇が仙洞御所に営まれた持仏堂で、...

木曽義仲が後白河法皇を幽閉した法住寺

京都市東山区三十三間堂廻り町にある法住寺は、後白河天皇の御陵(法華堂)をお守りするために建てられました。この法住寺殿は、天皇の年頭の挨拶が年々行われ、特に皇子の高倉天皇はよく行ったそうです。また、高倉天皇の中宮である平清盛の娘・平徳子(後の建礼門院)はこの御所から入内しました。保元3年(1158年)、後白河天皇は譲位して後白河上皇となり、清盛に法住寺殿域内に蓮華王院を造営することを命じ、1164年に本堂が...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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