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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [源実朝(鎌倉殿の13人) ] 記事一覧

源実朝の後室・西八条禅尼ゆかりの本覚寺

京都市下京区富小路通五条下る本塩竈町ある本覚寺は、源実朝の後室・坊門信清の娘の坊門信子(西八条禅尼)が貞応元年(1222)に創建したもので、寺名は信子の法名本覚をとったもの。本覚寺は、光源氏のモデルとなった源融の邸宅・河原院の跡地にあります 。山号を佛性山(ぶっしょうざん)といい浄土宗の寺で、開祖は團譽(だんよ)上人玉翁(ぎょくおう)和尚である。ここは嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の河原院塩竃...

六孫王神社

京都駅から西に歩いて10分ぐらいのところにある六孫王神社。ここは源氏の祖である源経基の邸宅跡で、清和源氏発祥の地で、多田神社(兵庫県川西市)、壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)と共に「源氏三神社」の一つとされます。あります。六孫王という名は、経基の父が清和天皇の第六皇子だったことに由来し、経基の子・満仲が邸宅跡に霊廟を建て、六の宮と称したのが始まりです。本殿の背後に経基の墓石があり、境内から「満仲の誕生水...

実朝の妻が建立した大通寺(遍照心院)

京都市南区西九条の大通寺(遍照心院)は清和天皇の第六皇子・貞純親王の御子、六孫王経基(つねもと)の子・満仲が父の墓所に堂宇を建立したのが始まりとされています。その後、源実朝が鎌倉八幡宮で甥の公暁に暗殺され、妻が出家して西八条禅尼(本覚尼)と名を改め、夫を弔って創建しました。西八条禅尼坊門信清の娘。元久1(1204)年,将軍源実朝の御台所として鎌倉に下向。この婚姻は,鎌倉幕府と朝廷の融和策として最上の手段で...

寿福寺 源義朝の屋敷跡~北条政子、源実朝の墓

寿福寺は、鎌倉市扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派の鎌倉五山第3位の寺院で、源頼朝が亡くなった翌年の1120年、頼朝の菩提を弔うために、妻の北条政子が明庵栄西禅師を開山として建立した寺です。栄西は日本に初めて臨済宗を伝えた禅僧で、「喫茶養生記」を著すなど、お茶を飲む習慣を日本に伝えたことでも知られています。 この地はかつて頼朝の父・源義朝の館があったところで、頼朝が鎌倉入りした際、ここに館を建てようとしましたが...

源実朝・頼朝を祭る鶴岡八幡宮の白旗神社

鎌倉の鶴岡八幡宮の境内にある白旗神社は若宮の東側にあり、源頼朝と実朝が祭られています。鶴岡八幡宮の三の鳥居若宮白旗神社の参道御社殿は黒漆極彩色、唐破風向拝の柱は漆塗りで、輝くような美しさを持った建物です。社伝によると正治2(1200)年5月、頼朝が白旗大明神の勅号を賜ったことを受け、北条政子が創建したといわれています。この辺りは、人通りも少なく、ひっそりとしています。にほんブログ村 歴史ブログランキング...

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