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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [曽我兄弟 ] 記事一覧

頼朝の富士の巻狩りと曽我兄弟仇討ち(8)曽我寺

建久4年(1193)源頼朝が、富士の巻狩りを催した折、曽我兄弟は、頼朝の寵臣になっていた父の仇である工藤祐経を討ち取りました。兄の十郎はその場で討たれてしまいましたが、弟の五郎は、頼朝の宿所にめざしましたが、頼朝の側近に捕えられました。翌日尋問が行われます。頼朝は五郎が勇気ある武士だということで助命を考えましたが、祐経の遺児の嘆願により処刑されました。一説には、単なる仇討ではなく、背後には北条時政など...

頼朝の富士の巻狩りと曽我兄弟仇討ち(7)玉渡神社

富士市厚原に鎮座する玉渡神社。曽我兄弟の兄の曽我十郎の恋人、虎御前が、兄弟の供養のため、終焉の地・井出の里に向かう途中、この祠で休んでいたところ、夜中にふと目をさますと、曽我寺の辺りから、二つの火の玉が飛んできて、虎御前の前まで来ると消えてしまいました。それが、兄弟の魂だと確信した彼女は、その夜から七日七晩、この祠で念仏を唱え、兄弟の冥福を祈りました。そのけなげな姿を見た地元の人々が、虎御前の死後...

頼朝の富士の巻狩りと曽我兄弟仇討ち(6)曽我八幡宮(厚原)

曽我兄弟の史跡は、曾我兄弟の仇討ちの舞台の地である県内各地に点在し、厚原にも曽我八幡宮があります。こちらは2010年に改修工事が行われたそうです。 曽我兄弟の父が、工藤祐経に討たれたときは、兄は5歳、弟は3歳だったといいます。境内には、幼い兄弟がいつか親の仇をとろうと誓い合う像が立っています。幼い兄弟の像が愛らしいだけに、悲しみを誘います。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろし...

頼朝の富士の巻狩りと曽我兄弟仇討ち(5)曽我兄弟霊地

曽我八幡宮の東側、この階段をのぼったところに曽我兄弟の墓があります。この近くに新田四郎忠常の陣所が置かれ、その辺りで兄の十郎祐成が討たれたといわれています。建久四年一一九三年右大将源頼朝富士之巻狩 を行いし時幕臣仁田四郎忠常の陣屋の所在地 にして曽我兄弟が怨敵工藤祐経を討ち果した る後餘勢を馳りて寄せ手を斬り払いつゝ拾町 余を走りしに終に精魂に盡きて祐成が仁田の為に討たれた所なりと伝ふ。後人二孤が孝烈...

頼朝の富士の巻狩りと曽我兄弟仇討ち(4)曽我八幡宮(上井出)

富士宮市上井出に鎮座する曽我八幡宮は、 曽我兄弟を祭った神社です。社殿は、珍しいピンク色をしています。 社伝は、源頼朝が曽我兄弟の孝心に感じ、兄弟の英魂を祭るよう畠山重忠を遣わし、建久8年(1197)に上原の住人渡辺主水に祭らせたと伝えている。この地は、新田四郎忠常の陣所の近く、十郎祐成が討たれた所だと言い伝えられている。 主神は応神天皇で、兄弟はその相殿として祭られている。主神の応神天皇の尊像は...

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