Category [鎌倉殿の13人 ] 記事一覧
鶴岡八幡宮~北条義時邸宅跡
「鎌倉殿の13人」の放映に先駆けて、昨年から鎌倉をまわり、今年に入ってからも数回にわたって取材してきました。今年最後の訪問となった11月の鶴岡八幡宮改めて一周してみましょう。源氏池手水舎菊の花手水鉢舞殿黄葉の大銀杏2010年(平成22年)、強風のために倒れ、メートル離れた場所に移植された大銀杏も着々と再生を続けているようです。大石段本宮若宮鎌倉国宝館北条氏展「北条義時の子どもたち」を見学してきました。北条義...
鎌倉幕府の鬼門を守る荏柄(えがら)天神社
鎌倉市二階堂にある菅原道真を祀る荏柄天神社。鶴岡八幡宮の東方に位置し、鎌倉時代初期より鎌倉幕府との関わりが記録に見え、武家政権の守護神として、鶴岡八幡宮とともに信仰された神社です。社伝によれば、長治元年(1104年)、菅原道真を勧請し創立されたと伝わり、古くは荏柄山天満宮とも称される。創祀については、社蔵の江戸時代の書「相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起」によると、長治元年(1104年)8月25日に、空が突如暗くな...
秋の覚園寺
今年二度目の訪問となった鎌倉の覚園寺。前回とは違い、秋景色を見せていただきました。鎌倉の覚園寺は、建保6年(1218)、北条義時が 十二神将の戌神将のお告げにより建てた大蔵薬師堂が前身のお寺です。 承久元年(1219年)正月27日、鶴岡八幡宮での右大臣拝賀の際に、将軍・源実朝が源頼家の子公暁によって暗殺される事件が起こり、源氏の正統が断絶。義時はこの時実朝のすぐ側にはいなかった。『吾妻鏡』では、義時は実朝の脇で...
六波羅探題府跡と六波羅蜜寺
京都東山区の六波羅蜜寺には、承久の乱後に、鎌倉幕府が設けた「六波羅探題府跡」の碑があります。それまでの京都守護を改組し、京都六波羅の北と南に設置した出先機関で、初代探題は、北条時房と北条泰時。承久の乱の戦後処理として、後鳥羽上皇方に加担した公家・武士などの所領が没収され、御家人に恩賞として再分配されましたが、それまで幕府の支配下になかった荘園であったため、これらの荘園にも地頭が置かれることになりま...
鎌倉の大河ドラマ館再び!(3)
畠山重忠の衣装武士の鑑と言われたほどの畠山殿武士らしく潔く美しく散っていきました。演じた中川大志さんがブレイクしたドラマでもありましたね!源実朝の衣装白地に鶴の柄は、亡く頼朝を思わせますね~北条義時の甲冑今となっては懐かしい梶原殿絵までお上手な後鳥羽上皇全成殿もお気の毒でした(; ;)上総介も存在感のある方でした。みんな大好き和田殿😄北条家の皆さんが、唱える度に間違えていた呪文(^0^;)承久の乱では、幕府方...
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