Category [文覚(鎌倉殿の13人) ] 記事一覧
文覚が再興した神護寺
ずいぶん昔のことになりますが、京都の高尾に紅葉狩りに出かけて来ました。神護寺は、「神願寺」と「高雄山寺」という二つの寺院が天長元(824)年に合併してできた寺です。開基は和気清麻呂。唐から帰朝した空海も住持を務めました。しかし、平安時代末期には衰退し、仁安3年(1168年)神護寺を参詣した文覚が、寺が荒れ果てていることを嘆き、再興の勧進を始めました。文覚上人(神護寺蔵)その後、後白河法皇や源頼朝らの援助を得て...
文覚と袈裟御前「恋塚寺」
文覚上人の俗名は遠藤盛遠といいます。もとは、上西門院に仕える北面の武士でしたが、同僚の源渡(みなもとのわたる)の妻・袈裟御前に恋してしまいます。遠藤盛遠が袈裟御前に恋し、その夫を殺そうと寝室に忍び寄る場面(月岡芳年)袈裟御前に執拗に言い寄る盛遠に困り果てた袈裟はある決心をし、わざと盛遠に夫を殺すように仕向け、自分が身代わりになったのでした。そうとは知らぬ盛遠は、切り落とした首を見てみたら、袈裟のも...
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