Category [源範頼 ] 記事一覧
修善寺の旅(3)源範頼の墓
源範頼は、義経とは対照的に、常に頼朝に従順な態度を示していましたが、建久4(1193)年、曾我兄弟の仇討ち事件への対処方が疑われ、伊豆修禅寺八塔司(はったす)の一つ信功院にに幽閉されました。その後、梶原景時の不意打ちに会い、防戦の末自刃したといわれています。修禅寺から西の小山地区の山腹に、源範頼の墓と伝わる祠があり、明治12年に骨壺が掘り出されたのこと。現在の範頼墓は、昭和7年に、日本画家・安田靫彦のデザイ...
修善寺の旅(2)源範頼の終焉の地・日枝神社の信功院跡
修善寺の日枝神社は、隣にある修禅寺の鬼門に当たり、もとは修禅寺の山王社(鎮守)で弘法大師の建立といわれています。明治初年(1868)の神仏分離令により分離されました。境内には、源範頼が幽閉されていた信功院があった場所でもあります。源範頼は、義経とは対照的に、常に頼朝に従順な態度を示し、異心なきを誓っていましたが、建久4(1193)年、曾我兄弟の仇討ち事件への対処方が疑われ、伊豆国修禅寺に幽閉されました。その後...
修善寺の旅(1)源範頼、頼家が幽閉された修禅寺
修善寺温泉街の中心にある修禅寺地名は「修善寺」、ですが、寺名は「修禅寺」、表記が異なります。807年(大同2年)に空海が創建したと伝えられています。当時は周辺の地名が桂谷であったことから、桂谷山寺と言われていましたが、鎌倉時代初期には修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになりました。手水舎から出ているのは温泉です。現在の本堂は1883年(明治16年)に再建したもの。岡本綺堂の「修禅寺物語」の舞台...
源範頼の別荘地「龍泉寺」 範頼桜~範頼の五輪塔~駒塚
浜松市南区飯田町の稲荷山龍泉寺のあるこの辺りは平安時代、源範頼の別荘地でした。この境内は源頼朝公の弟、範頼公の別荘地であった。当時京都の稲荷神社から稲荷明神を迎えお祠りしていた。その後、享徳3年(1254)この別荘地を寺とし、稲荷山龍泉寺と称した。以後、範頼公を寺の開基として境内の南東に供養塔(五輪塔)を建立し奉祠している。この塔から50m南には、範頼公の愛馬を葬った駒塚がある。また、境内北西には範頼公近...
最新コメント