Category [源頼家 ] 記事一覧
源頼家ゆかりの建仁寺(3)
方丈は、大玄関を介して本坊と連結しています。元々は、広島の安国寺にありましたが、安国寺恵瓊が、慶長4年(1599年)に建仁寺に移築しました。建仁寺には、大雄苑(だいおうえん)、〇△□乃庭(まるさんかくしかくのにわ)、潮音庭(ちょうおんてい)の3つがあります。方丈庭園の大雄苑は、白砂に緑苔と巨石を配した枯山水庭園。中国の百丈山の眺めを模して造られ、百丈山の別名が大雄山であることから「大雄苑」と名付けられたそ...
源頼家ゆかりの建仁寺(2)
本坊の玄関を入ると、俵屋宗達の「風神雷神図」が出迎えてくれます。国宝「風神雷神図」屛風は、現在、京都国立博物館に寄託されており、レプリカが飾られています。方丈には、海北友松の襖絵が、キャノンの文化財未来継承プロジェクト「綴TSUZURI」による高精細複製品として復元、展示されています。「雲龍図」「竹林七賢図」「山水図」「琴棋書画図」花鳥図凪(鳥羽実花)金沢翔子さんの書大書院にもキャノンが3D印刷した風神雷神...
源頼家ゆかりの建仁寺(1)
建仁寺は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の大本山の寺院。鎌倉幕府2代将軍・源頼家が栄西を開山として建立しました。建久2年(1191年)栄西は、宋より帰国。当時、京都では比叡山延暦寺の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難であったため、初め九州博多に聖福寺を建て、後に鎌倉に移り、北条政子の援助で正治2年(1200年)寿福寺を開山。その2年後の建仁2年(1202年)、源頼家の援助を得て、元号を寺号とし、京都における臨済...
頼家の面が伝わる韮山の光照寺
伊豆の国市韮山の政子産湯の井戸の近くに、光照寺があります。もとは北条時政が源頼朝のために建てた館の跡で、頼朝の死後に寺になったそうです。伊豆には、頼家の面に伝わる伝承がいくつか残されています。頼家の病状を伝えるため、面に写して鎌倉に送ったという共通点はあるものの、面を刻むに至った理由については・北条氏が密かに温泉に漆を混入させ、頼家の全身をかぶれさせた・単に伝えるための2種類が認められ、面を届ける...
修善寺の旅(19)源頼家ゆかりの月見ヶ丘愛童将軍地蔵尊
修禅寺に幽閉されていた源頼家が非業の死を遂げたことを知った地元の人々は、笠冠地蔵を建立しました。元は月見ヶ丘の中腹にありましたが、昭和36年に道路拡張工事で山の一部が削られたため、修善寺橋の袂に移されました。幽閉されていたころの頼家は、修禅寺の山を下り、狩野川のほとりの月見ヶ丘で月を眺めてその憂さを晴らしたり、里の子どもと遊びながら、鎌倉に残した息子・一幡に思いを馳せていたといいます。23歳の若さで無...
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