Category [安達盛長 ] 記事一覧
安達氏の菩提寺・無量寿院跡に建つ鎌倉歴史文化交流館
鎌倉歴史文化交流館が建つ谷は無量寺谷と呼ばれ、 近辺には 安達盛長の孫・安達義景ゆかりの菩提寺・無量寿院や甘縄の邸宅があったと考えられています。 敷地内の発掘調査では、鎌倉時代後期の池の跡や礎石が見つかり、 安達氏に関係する遺構の可能性が指摘されているそうです。この池の跡は、平成14年 (2002) の発掘調査により、現在の鎌倉歴史文化交流館別館の地下、 同建物の北西側の崖下近くから発見されました。発掘された時の...
修善寺の旅(4)安達盛長の墓
修禅寺の裏側に安達盛長の墓があります。盛長は、源頼朝が伊豆の流人であった頃から側近として仕えていた武将で、頼朝の死後、鎌倉二代将軍・源頼家の宿老として十三人の合議制の一人になり幕政に参画しました。妻は頼朝の乳母・比丘禅尼の娘・丹後の局、娘・亀御前は、頼朝の異母弟・源範頼の妻。盛長の墓は、以前は修善寺の小山地区にある源範頼の墓のそばにありましたが、バイパス工事に伴い、桂谷トンネルそばの修善寺梅林登り...
鎌倉の甘縄神明神社・安達盛長邸址
天照大神を祭る長谷の鎮守で、鎌倉市最古の神社とされている甘縄神明神社は、和銅3年(710年)行基が草創し、豪族染谷時忠によって創建されたといわれています。源頼義が相模守として祈願した後、八幡太郎義家が生まれたと伝えられ、永保元年(1081年)に当社を再興しています。源頼朝、北条政子、実朝らもお参りしており、源氏と縁の深い神社です。境内には、北条時宗の産湯の井戸、頼朝の側近である安達盛長の屋敷跡を示す「安達...
最新コメント