Category [北条泰時 ] 記事一覧
六波羅探題府跡と六波羅蜜寺
京都東山区の六波羅蜜寺には、承久の乱後に、鎌倉幕府が設けた「六波羅探題府跡」の碑があります。それまでの京都守護を改組し、京都六波羅の北と南に設置した出先機関で、初代探題は、北条時房と北条泰時。承久の乱の戦後処理として、後鳥羽上皇方に加担した公家・武士などの所領が没収され、御家人に恩賞として再分配されましたが、それまで幕府の支配下になかった荘園であったため、これらの荘園にも地頭が置かれることになりま...
「承久の乱」宇治川の戦い
承久3年(1221年)6月9日、後鳥羽上皇は、坂本から京に戻り、西園寺公経を斬るのを止めて、翌10日、高陽院に戻り、西園寺父子を赦免しました。丸太町の高陽院邸跡京方は残る全兵力をもって宇治・瀬田に布陣、宇治川で幕府軍を防ぐことに決めました。藤原秀康、三浦胤義らの武将や源有雅、一条信能らの公家も出陣しました。6月13日、京方と北条泰時率いる幕府軍は宇治川で衝突。この時期は、梅雨時だったため、水かさが増しており、...
北条泰時邸跡
鶴岡八幡宮の三ノ鳥居からほど近い若宮大路沿いの「M's Ark Kamakura」というビルの1Fに、坂口健太郎さん演じる北条泰時の住居跡であった北条泰時邸跡の遺構が展示されています。大河ドラマ館のパネルより「侍気分」という武将グッズのお店前のフロアーからガラス越しに発掘された泰時の「住居跡を見ることが出来ます。柱穴、ゴミ穴、土台材、羽目板などが確認できます。和田義盛を演じた 横田栄司さんが来店した際に書いたサイン...
北条泰時が創建した成就院
空海が諸国巡礼の折、百日間にわたり護摩修法を行った鎌倉市極楽寺のl地に、承久元年(1219年)、三代執権の北条泰時が成就院を創建、北条一族繁栄を祈ったといいます。元弘3年(1333年)、新田義貞の鎌倉攻めの戦火で焼失し、西ヶ谷に移りましたが、江戸時代に元の地に再建されました。山門から由比ガ浜を眺め下ろせる眺望、参道から境内に咲く紫陽花も人気を集めています。本堂本尊は不動明王、良縁成就として知られています。...
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