Category [藤原定家 ] 記事一覧
藤原定家ゆかりの嵯峨野(3)二尊院
二尊院は、平安時代初期の承和年間(834年 - 847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したとされています。総門慶長18年(1613)に伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたものと伝わっています。総門には文様(装飾のための図柄)があり、唐草模様、数珠入り三つ巴紋、桃の巴蓋瓦などが施されており、室町時代の建築として京都市指定文化財となっています。総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は紅...
藤原定家ゆかりの嵯峨野(2)常寂光寺
常寂光寺は、慶長年間(1596〜1614)に大本山本圀寺第16世究竟院日禛上人により開創。本堂は慶長年間に小早川秀秋公の助力を得て、伏見桃山城客殿を移築し造営されました。 山門江戸後期に改築されたもので、江戸中期出版の「都名所図会」には、袖に土塀をめぐらした薬医門が図示されています。仁王門仁王門は、もとは本圀寺客殿の南門として貞和年間(1345〜49)に建立されたものが元和二年(1616)に移築されました。 当寺の建築物の中...
藤原定家ゆかりの嵯峨野(1)厭離庵
大河ドラマでは、源実朝の和歌の師匠が藤原定家になりましたね。これから益々和歌に傾倒していくようです。京都の嵯峨野は、平安遷都後には、風光明媚なため、天皇や大宮人たちの遊猟、行楽地でした。嵯峨天皇が離宮嵯峨院を造営して居住し、以後貴族・文人などにより、山荘や寺院が次々と建てられました。藤原定家がこの地に小倉百人一首を編纂したとされる小倉山の山荘「時雨亭跡」とされる遺跡が、厭離庵、二尊院、常寂光寺に残...
最新コメント