Category [藤原頼経 ] 記事一覧
若宮大路幕府旧蹟
先日の放送(12月4日)で、三寅というわずか二歳の赤ん坊が京から鎌倉に送られてきました。後の鎌倉幕府の4代将軍・藤原頼経です。摂政関白を歴任した九条道家の三男で、摂家から迎えられた摂家将軍で、九条頼経とも呼ばれています。九条道家と西園寺公経の娘・掄子の子として生まれ、生まれたのが寅年・寅月・寅刻だったので、幼名を三寅(みとら)と言いました。両親ともに源頼朝の同母妹坊門姫の孫であり、前3代の源氏将軍とは遠...
藤原頼経が建立した明王院
鎌倉市十二所にある明王院明王院は、寛喜3年(1231年)鎌倉幕府4代将軍藤原頼経によって発願された寺です。1218‐56(建保6‐康元1)鎌倉幕府の第4代将軍。摂政九条道家の子。母は太政大臣西園寺公経の娘綸子。公経の妻全子,すなわち頼経の外祖母は源頼朝の姪。幼名三寅。1219年(承久1)3代将軍源実朝が殺され,源氏の正統が絶えたため,頼朝の遠縁にあたる頼経が鎌倉に迎えられた。25年(嘉禄1)元服,翌年征夷大将軍に任ぜられ(摂家(...
カミソリ大臣ゆかりの旧古河庭園
東京都北区西ケ原にある旧古河庭園は、陸奥宗光の邸宅跡に広がる庭園です。陸奥宗光は、版籍奉還、廃藩置県、徴兵令、地租改正に大きな影響を与え、類稀なる手腕から「カミソリ大臣」とも呼ばれ、第2次伊藤内閣の外務大臣として不平等条約の改正に辣腕を振るいました。陸奥宗光(むつむねみつ)1844〜97明治時代の政治家・外交官紀伊藩出身。海援隊に加わり,尊王攘夷運動に参加。1872年明治新政府の租税頭として地租改正の実施に...
水戸の旅(37)偕楽園 「好文亭」その弐
好文亭の中を進んで行きます。萩の間この辺りから、部屋の明るさがぐっと増します。桜の間3階の楽寿楼からは、偕楽園の庭園から千波湖方面まで見渡せます。この時点で、16時15分、夕陽が一面を照らしています。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記ランキング...
水戸の旅(36)偕楽園 「好文亭」その壱
園内には梅の異名「好文木」に由来する別荘好文亭があります。藩校「弘道館」は偕楽園と一対の施設であり、古代中国の晋の武帝が学問に親しむと花が開き、学問をやめると花が開かなかったという故事に基づいているそうです。好文亭を見学するには、偕楽園の入園料(300円)とは別に観覧料(200円)が必要です。園内の好文亭は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭自信の設計により建築された別邸で、藩内の人々とともに楽しむ場としました。木造...
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