Category [織田信長(どうする家康) ] 記事一覧
姉川の合戦史跡巡り(1)信長本陣跡・茶臼山古墳(龍ヶ鼻砦)
先月、滋賀県在住の友人の案内で、姉川の合戦の史跡を自転車でまわってきました。長浜駅前でレンタサイクルを借り、県道37号線を7.6kmをひたすら走り、東上坂町にある茶臼山古墳(龍ヶ鼻砦)を目指しました。姉川合戦前の横山城攻めの際、織田信長・徳川家康が陣としてこの古墳を利用し、龍ヶ鼻砦とも呼ばれます。合戦が始まると陣を取り払い、それぞれ別のところへ陣を構えました。この古墳のある丘には柵があって中には入れません...
清洲を訪ねて(3)総見院 信長の菩提寺
清洲の総見院は、織田信雄が清洲城主の頃、父・信長の菩提寺として建立した寺でしたが、清洲越により大須(名古屋市中区)に移りました。現在の寺は、1644年、徳川義直の開基で、総見寺第3代住職・みん山和尚の隠居所として始まったと伝わっています。境内には、信長・義直・みん山の墓碑3基があり、寺には織田信雄が本能寺の変の後、本能寺の焼跡から探し出したといわれる信長着用の兜が保管されているそうです。にほんブログ村...
清州を訪ねて(2)清洲城
大手橋を通って清洲城へ。清洲古城跡の五条川対岸に、平成元年(1989年)に天守閣が建てられ、ふれあい郷土館として郷土文化・文化・歴史・産業展示室を設け、芸能文化館・黒木書院、日本庭園・土蔵・大手門等が作られました。 室町時代、尾張の守護職であった斯波義重が下津城(稲沢市)の別郭として建てたのが清洲城の始まりといわれています。戦乱により、下津城が焼失後、文明10年(1478年)守護所が清洲に移転することにより、清...
清州を訪ねて(1)清洲古城跡と信長の像
大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」が放送された2011年、信長ゆかりの地・清洲を歩いてみました。名鉄新清洲駅から清洲公園方面に向かって10分ほど歩くと、五条川に架かる五条橋に出ます。 五条橋は、室町期、斯波氏の時代から架かり、1610年の清洲越で城と共に名古屋堀川に移されるまで、まさに「御城橋」の役を果たしてきた。 信長が愛馬に跨って渡り、豊臣秀吉がほぼ、全国統一を成し遂げた小田原征伐の帰路、この橋の上で上畠神...
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