Category [於大の方 ] 記事一覧
於大の方が暮らした坂部城
洞雲院から坂部城へ。現在、町立図書館が建っている所で、東側は城山公園となっています。徳川家康の生母・於大の方が、城主・久松俊勝と再婚し、15年間暮らした城です。坂部城址 坂部城は久松貞益が築城したと言われる平城で、当時は阿古屋城(あごやじょう)、阿古居城(あぐいじょう)とも呼ばれたと言われている。「尾張志」には、「坂部村にあり、其跡東西40間(約73m)南北50間(約90m)英比(あぐい)の城ともいふ。久松佐...
洞雲院の於大の方の遺髪墓
愛知県知多郡阿久比町の洞雲院は、徳川家康の生母である於大の方の菩提寺です。948年(天暦2年)、菅原道真の孫である菅原雅規が開基となり、洞雲院の前身となる久松寺を創建したと伝わります。1494年(明應3年)、雅規の後裔である久松定益が曹洞宗の洞雲院として再建しました。1547年(天文16年)、久松俊勝のもとに於大の方が再嫁され、坂部城に在城の15年間に三男四女の子女が出生しています。寺伝によれば、平安時代、天暦2...
岡崎の大泉寺「於大の方の遺髪塚」
岡崎の大泉寺は、徳川家康が生まれた翌年、母・於大の方によって創建された寺院です。於大の方が懐妊した際、俊恵蔵主という名僧が岡崎城内の持佛堂薬師如来前で毎日安産の祈願を行いました。家康が無事誕生したことから、俊恵蔵主を開基、安産を祈願した持佛堂の薬師如来を本尊とし、城の東北にあたる場所に大泉寺が建立され、以来安産祈願の信仰を集めるようになりました。開山時の表記は「大仙寺」でしたが、慶長6年(1602)に...
於大や千姫が眠る伝通院の徳川家墓所
伝通院(傳通院)は、東京都文京区小石川三丁目にある徳川将軍家の菩提寺です。慶長7年(1602)に徳川家康の生母・於大の方が逝去し、伝通院を菩提寺としました。伝通院の墓地の北側に徳川家の墓域があり、於大の方、千姫などの墓が建っています。於大の方の墓家康の生母で、法名は伝通院。於大の方は享禄元年(1528)三河刈屋城主・水野忠政の娘として生まれ、天文10年(1541)岡崎城主・松平広忠と結婚し、竹千代、後の徳川家康...
於大の方の生誕地東浦町(4)緒川城址~善導寺
緒川城は水野貞守が文明年間(1469年~1486年)に築城したと伝えられ、忠政や信元ら水野氏の居城になりました。緒川の比高8メートルの台地に築かれ、絵図によれば主郭は東西83メートル、南北95メートルの平城でした。現在は主郭の北東部の土塁の一部が残され、古城公園となっています。水野忠政の娘で、徳川家康の生母於大の方(伝通院)が生まれた所でもあり、城址内には於大の方出生地の碑が立っています。伝通院於大出生地の碑...
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