Category [夏目広次(吉信) ] 記事一覧
幸田町明善寺と岡崎法蔵寺の夏目吉信(広次)の墓所
以前、岡崎市の法蔵寺の夏目吉信(広次)の墓について書きましたが、愛知県額田郡幸田町六栗の明善寺にも吉信の墓があります。夏目氏三代の墓右から、夏目吉信、夏目吉久、夏目吉為の墓夏目氏は信濃国伊那郡夏目村の地頭職が起こりである。中先代の乱に敗れ、吉良荘に逃れ、六栗村の中屋敷台地に夏目屋敷城(六栗城)を構え、古くから松平氏(徳川氏)に仕える譜代衆であった。夏目吉信永正15年(1518年)、夏目吉久の長子として、...
家康の身代わりとなった夏目吉信と酒井の太鼓
浜松市中区布橋の犀ヶ崖古戦場の一角(現在はバス停の前)に夏目次郎左衛門吉信の碑があります。夏目吉信は1563年の三河一向一揆で処刑されるところを徳川家康の寛大な処置によって助けられました。それ以来、家康に恩を感じ、三方ヶ原の合戦の際、敗走中の家康の身代わりとなり、「我こそは家康なり」と武田軍の前に立ちはだかり、討ち死にしました。「家康伝承と浜松」によると、馬を乗り回して、必死に戦った家康は、負傷した家...
最新コメント