Category [井伊直親(どうする家康) ] 記事一覧
井伊直親の墓
永禄5年(1562)、家老の小野但馬守が、「井伊直親が松平元康(のちの徳川家康)と内通して謀反を起こそうとしていると、今川氏真に讒言をしたため、直親は、弁明に駿河へ向かう道中、掛川城主・朝比奈備中守によって謀殺されました。享年27。直親の首は、南谿和尚が蜂前神社の宮司を使いに出して掛川城からもたい受け、首と体を一緒にして、棺に入れ、都田川の河畔で火葬にされました。直親の墓は都田川と堤防の中間になった平場に...
遠州忩劇 井伊直親が討たれた掛川の十九首塚
1562年(永禄5)井伊家の当主となった井伊直親は、遠江を手中にしょうとしていた三河の松平元康(徳川家康)から、今川を見限り徳川に付くよう誘いを受けたとされています。直親が家康と通じているという嫌疑を、小野但馬守が今川氏真に伝えたことから、氏真は激怒。直親を駿府館に呼び出し、真意を聞くことになりました。直親は、申し開きのため、19人の従者を連れて、駿府館に向かいますが、その途中の掛川の十九首で、今川氏真の命...
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