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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [今川氏真(どうする家康) ] 記事一覧

家康が本陣を置いた龍尾神社

1568年、武田信玄に追われて掛川城に逃げ込んだ今川氏真と徳川家康との戦において、家康が本陣を置いたのが、掛川の龍尾神社の境内です。半年に渡る激しい攻防戦の結果、氏真が掛川城を家康に明け渡す形になりました。掛川城の北東(鬼門)に位置するため、その守護神として、山内一豊を初めとする歴代城主から崇敬を受けました。また、一豊が高知城に移転した際、高知城下にも龍尾神社を勧請し、掛川に因んで掛川神社と命名しまし...

掛川城(3)掛川城御殿

掛川城御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の 政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせ持った施設です。掛川城御殿 は二の丸に建てられた江戸時代後期の建物で、現存する城郭御殿しては、京都 二条城など全国で4箇所しかない貴重な建築物です。   書院造りと呼ばれる建築様式で、畳を敷き詰めた多くの部屋が連なり、各部屋 は襖で仕切られています。当初は本丸にも御殿が作られましたが、老朽化...

掛川城(2)天守閣

掛川城天守閣は、地震による倒壊で、天守は再建されず、天守台などの遺構が残るのみでしたが、平成6年(1994)、市民や地元企業などから10億円の募金を集めて戦後初となる木造による天守が再建され、掛川のシンボルとなっています。山内一豊と千代の顔出し看板こんな方に出会いました!軍配軍扇功名が辻で使われた幟天守閣から見た御殿にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブロ...

掛川城(1)霧吹き井戸

永禄11年(1568年)今川氏真は、甲斐の武田氏に駿河を追われ、朝比奈泰朝のいる掛川城に立てこもりました。翌年、徳川家康は掛川城を攻めますが、泰朝の守りはかたく、なかなか落城しませんでした。しかし、ついに和睦により氏真の身の無事を家康に認めさせる条件で、泰朝は開城を決意しました。氏真と泰朝は1569年2月8日(永禄12年1月23日)に掛川城を開城し、小田原城へ退去。掛川城には城代として家康の重臣・石川家成・康通親子...

寿桂尼の菩提寺・龍雲寺 

静岡の龍雲寺は、今川氏親の正室で、今川氏輝、今川義元の母である寿桂尼の菩提寺です。今川氏真が当主になっていた頃、終の棲家といたのが龍雲寺です。JR静岡駅からバス北街道線・瀬名新田行き他15分、沓谷3丁目下車、歩くこと数分です。龍雲寺本堂の前には、没後四百年記念に建立された寿桂尼が使用した「歸」(とつぐ)の印判を刻んだ石碑が建っています。「歸」は、寿桂尼が氏親に嫁いできた時、父親の中御門宣胤が印判に彫...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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