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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [松平信康 ] 記事一覧

信康の遺髪が祀られている清水の江浄寺

JR清水駅から徒歩10分、静岡県清水区江尻の江浄寺は、東海道五十三次、江尻宿の中心に位置する古刹です。永正元年(1509)、浄土宗大本山 光明寺(鎌倉市)の第九世 長蓮社観譽祐崇(ちょうれんじゃ かんよ ゆうそう)上人が開山で、当時は旧東海道沿い(清水区秋吉町付近)に創建されました。その後、徳川幕府の東海道整備に伴い、慶安四年(1651)現在の地へ移転しました。境内には、松平信康の遺髪を納めた五輪塔があります。江...

信康の首が埋葬された根石観音堂~若宮八幡宮の首塚

岡崎市若宮町にある根石寺(旧根石観音堂)を訪ねました。現在、信康の首塚がある若宮八幡宮の境内にあった根石原観音は、明治維新の神仏分離によって、若宮八幡宮の北側に移転し、現在は根石寺となっています。根石原観音の由緒について、「おかまいり」のHPによると、和銅元年(708)に悪病が流行したことから、43代元明天皇が悪疫を絶やすよう行基法師に祈祷を依頼すると、行基は自ら六体の観音菩薩を彫り、そのうちの二体を根石...

信康が自刃した二俣城~清瀧寺の信康廟

松平信康は、堀江城からさらに遠江国豊田郡二俣(現在の浜松市天竜区二俣町二俣)二俣城に移されました。二俣の地は、天竜川と二俣川との合流点にあり、水運に恵まれた地で、、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げました。また、信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られています。この急な階段を上っていきます。当時、武田軍が急な坂道で手こずったというのがうなづけます。まだまだ続く階段(..;...

松平信康が移された大浜

1579年8月4日、松平信康は、岡崎城から三河大浜城に移されました。そんな信康の軌跡を追って、愛知県碧南市大浜を訪ねました。碧南市には、三英傑のゆかりの地があり、各所にこの幟がはためいています。この地区は、古くから海運の町として栄え、多くの寺社が建てられました。特に大浜てらまち地区は、南北1.2kmほどの狭い地区に、宗派を異にする10軒のお寺があります。「竹千代」命名の寺「称名寺」は、暦応2年(1339)に新田氏一...

松平信康が暮らした岡崎城

松平信康は、永禄2年(1559年)3月6日、松平元康(後の徳川家康)の嫡男として駿府で誕生。今川氏の人質として幼少期を駿府で過ごしましたが、桶狭間の戦いの後に徳川軍の捕虜となった鵜殿氏長・氏次との人質交換により岡崎城に移りました。元亀1年(1570)、家康が遠江に進出し、引馬(浜松)を居城とする際、三河岡崎城が与えられ、岡崎次郎三郎信康と称しました。信康は性剛直で武勇に優れ、よく家康を助けたといいます。天正3年(1...

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