Category [石田三成(どうする家康) ] 記事一覧
石田三成ゆかりの彦根の蓮成寺と妙源寺
彦根市栄町の蓮成寺が、この地に建立されたのは1602年のことで、前身は石田三成の居城佐和山城にありました。1559年、当時の城主・磯崎丹波守員昌(かずまさ)が織田信長の命により法華丸を建立したのが始まりです。1600年の関ヶ原の戦いで三成が敗れると、法華丸も廃寺となりました。しかし、彦根藩初代藩主・井伊直政の命令により現在の地に蓮成寺として再建されました。蓮成寺の正面側には彦根藩の足軽屋敷が立ち並び、彼らの檀...
石田三成が葬られた大徳寺の三玄院
慶長5年(1600)10月1日、石田三成は、徳川家康の命により、京の六条河原で斬首されました。享年41。辞世は筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり三成の首は三条河原に晒された後、生前親交のあった春屋宗園、沢庵宗彭に引き取られ、京都大徳寺の三玄院に葬られました。大徳寺山門(金毛閣)大徳寺三玄院前の石田三成墓所石碑こちらには、石田三成の墓所があります。こちらの塔頭は、一般公開されておらず...
石田三成が繋がれた和田神社の大銀杏
関ヶ原の戦いに敗れた石田三成は、伊吹山の東にある相川山を越えて春日村に逃れました。その後、姉川に出た三成は、曲谷を出て七廻り峠から草野谷に入り、小谷山の谷口から古橋に逃れました。しかし9月21日、徳川家康の命令を受け、三成を捜索していた田中吉政の追捕隊に捕縛されました。東軍の攻撃を受けて三成の居城・佐和山城は落城し、三成の父・正継、兄・正澄を含む石田一族の多くは殺害されました。9月22日、三成派大津城に...
関ヶ原の戦い(2)「石田三成&島左近陣跡」
笹尾山の石田三成陣跡へ島左近陣跡ここから笹尾山に上ります。わずか5分ほどで山頂へ。石田三成陣跡見晴の良いところで、休憩するのは良いのですが、撮影スポットである石碑の前に荷物を置いたり、座り込むのはちょっと・・・(-_-;)三成の兜のモニュメントここから次の目的地まで1.1km歩きます!にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加し...
関ヶ原の戦いで、石田三成の本拠地となった大垣城(2)
関ケ原の戦いの本戦の舞台となるはずだったこの大垣城の展示室には、当時の戦国武将たちの貴重な資料や、江戸以降、実際に戸田氏が使用した甲冑、石田三成をはじめとする西軍・東軍の武将による連署禁制の書が見られます。(複製なので撮影OKです)石田三成が本拠地を置いたこの大垣城から、東軍が陣をおいた岡山(現在のお勝山)までは約5キロあります。(赤で囲んであるところが、東軍が陣をおいた岡山)当時はここからお勝山を見...
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