Category [築山御前 ] 記事一覧
八柱神社の築山御前の首塚(岡崎)
岡崎市欠町石ヶ崎の八柱神社には、徳川家康の妻であった築山御前の首塚があります。築山御前は、今川方の出身であり、織田信長に武田方と内通しているとのとの嫌疑をかけられ、殺害されてしまいました。八柱神社拝殿八柱神社本殿築山御前首塚 築山御前は関口刑部少輔義廣殿の御息女瀬名姫で今川義元の養女になり家康公の御正室になられました。長男の岡崎三郎信康公は織田信長公の御息女徳姫を御正室に迎へられましたので母と嫁は...
築山御前の腹篭地蔵尊を祀る地蔵院
浜松市南区高塚にある護法山地蔵院は明徳元年(1390)に元道円密和尚により創建されました。元道円密和尚は、後醍醐天皇の子 宗良親王と共に遠州に入った公家出身の武士であり、親王が元中二年(1385)に亡くなると出家して当地高塚に庵を結んだとされています。本堂約250年前に建立されました当時は茅葺きでしたが大正時代に瓦に葺き替えられたそうです。ご本尊は延命地蔵菩薩位牌堂には築山御前ゆかりの腹籠り地蔵も祀られてい...
瀬名(築山御前)の眠る西来院
西来院は月窓派の拠点として、正長元年(1428)月窓義運襌師によって開創され、曹洞宗の寺院です。本堂当寺は、徳川家康の正室瀬名(築山御前)の廟堂・月窟廟のある寺院として有名ですが、その他にも家康の異父弟・松平源三郎康俊や江戸時代の浜松女流歌人・杉浦真崎、森繁子などの墓もあります。松平源三郎の墓月窟廟は一時、戦災のため焼失しましたが、昭和53年の400年忌に復元されました。築山御前を殺害するにあたっては、介錯...
太刀洗の池
浜松の佐鳴湖半に、「太刀洗の池」という史跡があります。案内版によると、太刀洗の池(たちあらいのいけ)「太刀洗の池はこの南10m位の場所にあった。昔はこの周囲一帯は藪に覆われ、約50平方m程の池であった。徳川家康の正室は今川義元の家臣関口刑部少輔義慶の娘で、岡崎の築山にちなんで築山御前と呼ばれたが、政略の犠牲となって、岡崎城から浜松城に向かう途中、佐鳴湖畔小藪で家康の家臣に殺害された。時に天正七年(1579)...
瀬名姫(築山御前)最期の地・佐鳴湖の小藪
岡崎で息子の松平信康夫婦と暮らしていた築山御前は、信康の妻・徳姫が二人の姫を産んでもいまだ男児を産まないことを気にかけ、元武田家の家臣で後に徳川家の家臣となっていた浅原昌時の娘および日向時昌の娘など部屋子をしていた女性を、信康の側室に迎えさせました。天正7年(1579年)、徳姫は、築山御前が徳姫に関する讒言を信康にしたこと、築山御前と唐人医師・減敬との密通があったこと、武田家との内通があったことなど、1...
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