大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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吉田稔麿殉節の地

吉田稔麿は、長州藩の足軽の子として生まれました。
生家は吉田松陰の生家の近所で、現在も萩の松陰神社の近くに吉田稔麿誕生の地の石碑が残されています。

IMG_0911 吉田

松陰神社の北側に、明安寺というお寺があります。

IMG_0831 明安寺

松陰と親交のあった勤王僧・月性が明安寺本堂で講和を行った際、塾生を聴講させたといいます。

IMG_0829 明安寺

ここは、稔磨の幼少時代の遊び場だったといいます。

IMG_0830 明安寺

稔麿は、松陰以前、久保五郎左衛門が教えていたころの松下村塾に通っていました。
松陰が禁固を命ぜられて実家に戻っていた時に、吉田松陰の松下村塾に入門し、高杉晋作、久坂玄端、入江九一とともに、四天王と称されました。

松陰が、老中・間部勝吉の暗殺を企てた罪で、再入牢した際、藩に抗議して謹慎とされたのち、松陰と絶縁関係になったといいますが、それは親族一門を守るためのことで、翌年松陰が江戸に送られる際には隣家の塀の穴から見送ったとの逸話が残されています。

松陰の死後、脱藩して京都、江戸で尊攘運動に加わり、池田屋事件で死去。

IMG_0912 吉田

ところ変わって・・・

京都市役所前の河原町御池の交差点の一角に、「吉田稔麿殉節の地」の碑があります。

長州藩邸があった場所(京都ホテルオークラ)の筋向いでもあります。

「此付近 池田屋事件 吉田稔麿殉節之地
IMG_2818 吉田

IMG_2823 吉田

「なお徳川時代にはこの至近に長州毛利氏の屋敷があったため、幕末期にも種々の舞台地でした。たとえば元治元年六月五日(一八六四)、会津松平氏が長州との全面対決を決めた池田屋事件では、この地付近で長州の吉田稔麿(栄太郎)などが戦死しました。稔麿は故吉田松陰の愛弟子で、当時主家の命で徳川公儀との和解のため江戸へ向かう途中でした。ちなみに覚馬も会津家臣として池田屋事件に参加しています。」(説明版より抜粋)

IMG_2820 案内図

稔麿の最期については諸説あります。

元治元年(1864年)6月5日の池田屋事件では、吉田も出席していたが、一度屯所に戻るために席を外す。しばらくして戻ると新撰組が池田屋の周辺を取り囲んでいたため、奮闘の末に討ち死した。最近の説では、長州藩邸に戻っていた吉田が脱出者から異変を聞き、池田屋に向かおうとするも加賀藩邸前で会津藩兵多数に遭遇し討ち死にした、とされている。また別の説として、池田屋で襲撃を受け、事態を長州藩邸に知らせに走ったが門は開けられる事無く、門前で自刃したという話もある。
(Wikipediaより)

「北隣地 明治時代 山本覚馬八重邸跡

そして、この北隣地は、新島八重さんとお兄様の山本覚馬さんの邸跡でもあります。

IMG_2822 覚馬

洛中惣構 土塁(御土居)跡
IMG_2819 御土居跡

その上、御土居跡でもあります。

IMG_2821 案内図

一本の石碑で、これだけの歴史を背負っているとは!
ここは、まさに歴史の舞台の交差点ともいえますね。

吉田稔麿下宿跡
IMG_2828 吉田

そして、河原町二条のこのあたりに稔麿が下宿していたところがあったそうですが、何も残されていません。

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コメント

吉田稔麿は、長州藩の足軽の子! 

時代の要請でですね!山形有朋も足軽の子!時代は有能な人を求めて、又その人達はそれぞれ活躍していますが、池田屋事件で24歳の若さで亡くなっていますね!
犠牲者付き物にしても若すぎます!
その隣に山本覚馬・八重居住地の碑!更にそれ以前は豊臣秀吉が造ったお土居跡!
京都市は何処もが史跡ですね。
  • willy_tsuguo_shikata 
  • URL 
  • 2015年06月22日 04時38分 
  • [編集]
  • [返信]

NoTitle 

池田屋事件で若き命をなくすとは、無念だったでしょうね。
彼だけではありませんが、みんな大きな思いを胸に、本当に無念の思いで死んだんだろうな。
今命を落とすとしても、やりたいことはやったという思いもあるので、そういう無念さを思うと心が痛みます。
応援P
  • YUMI 
  • URL 
  • 2015年06月22日 14時10分 
  • [編集]
  • [返信]

四方さんへ 

「八重の桜」で、山本覚馬の邸跡を訪ねた時には、まだこの碑はなくて、交差点の景色とオークラを撮っただけでした。
今年の大河に合わせて、この稔磨の碑を付け加えて立てたのでしょう。
  • しずか 
  • URL 
  • 2015年06月22日 14時29分 
  • [編集]
  • [返信]

YUMIさんへ 

志を持った若者が、己を捨て、国を思って行動した。
それは藩が違っても同じことだったのでしょう。
ここで命を落とすとは、稔磨も家族も無念だったでしょうね。
  • しずか 
  • URL 
  • 2015年06月22日 14時31分 
  • [編集]
  • [返信]

NoTitle 

京都を歩くと
いろんな時代の
歴史の舞台に出くわします。

こんな町は京都しか
ありえないですね。

応援ぽち

よっちんさんへ 

>京都を歩くと
いろんな時代の
歴史の舞台に出くわします。

だからこそ、何度行っても飽きない町なのでしょうね。
行く度に、新しい発見があります。
次に行く時は、何をテーマに行こうかわくわくします。
  • しずか 
  • URL 
  • 2015年06月23日 00時28分 
  • [編集]
  • [返信]

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