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2015.08/02 [Sun]
勤皇の歌人・野村望東尼(1)防府天満宮の銅像と歌碑
野村 望東尼(のむらもとに/ ぼうとうに)は、幕末の女流歌人・勤王家。

文政12年(1829年)福岡藩士・野村新三郎清貫と結婚。
安政6年(1859年)夫が亡くなると、剃髪して望東尼と称します。
その後、福岡の南側の山村(現・福岡市中央区平尾)にあった自分の山荘に勤皇の志士たちをかくまったり、密会の場所を提供したりしました。
その中には高杉晋作や勤王僧の月照もいました。
慶応元年(1865年)6月、福岡藩でも尊攘派弾圧の動きが強くなり、孫の野村助作と共に自宅に幽閉され、10月に玄界灘の姫島へ流されました。(乙丑の変)
翌2年(1866年)9月、高杉の命を受けた福岡脱藩志士らが姫島から脱出の手引きをし、下関の勤皇の豪商・白石正一郎宅に匿われます。
防府天満宮に、野村望東尼の像と歌碑があります。
野村望東尼の像

野村望東尼献歌碑



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文政12年(1829年)福岡藩士・野村新三郎清貫と結婚。
安政6年(1859年)夫が亡くなると、剃髪して望東尼と称します。
その後、福岡の南側の山村(現・福岡市中央区平尾)にあった自分の山荘に勤皇の志士たちをかくまったり、密会の場所を提供したりしました。
その中には高杉晋作や勤王僧の月照もいました。
慶応元年(1865年)6月、福岡藩でも尊攘派弾圧の動きが強くなり、孫の野村助作と共に自宅に幽閉され、10月に玄界灘の姫島へ流されました。(乙丑の変)
翌2年(1866年)9月、高杉の命を受けた福岡脱藩志士らが姫島から脱出の手引きをし、下関の勤皇の豪商・白石正一郎宅に匿われます。
防府天満宮に、野村望東尼の像と歌碑があります。
野村望東尼の像

野村望東尼献歌碑



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