大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Entries

来嶋又兵衛生誕地~又兵衛の銅像

小野田市高須にある厳島神社の境内に「来嶋又兵衛生誕地」の記念碑があります。

IMG_6508 来島

IMG_6516 来島

IMG_6513 来島

来島又兵衛は、この近くに屋敷を構えていた喜多村家の次男として誕生。

20歳の時、俵山(長門市)の来島家に婿養子に行きました。

IMG_6509 来島

IMG_6514 来島

来島又兵衛
文化14年(1817年)1月8日、長門国厚狭郡西高泊村、無給通組の下士・喜多村政倫の次男として生まれましたが、天保7年(1836年)、大津郡俵山村の大組(八組)の上士・来島政常(又兵衛)の婿養子となります。

弘化3年(1846年)、江戸に出て剣術修行に励み、武芸の達人となりました。
嘉永元年(1848年)に帰国、家督を継ぎ、同年10月に手廻組に入隊後、藩主世子・毛利定広の駕籠奉行を務めるなど、藩の要職を歴任。

翌嘉永2年(1851年)、養父の政常が病死したため、来島家累代の名前を継承し、来島又兵衛政久と改名。

文久3年(1863年)、藩命により猟師を集めた狙撃隊を率いて上洛。
八月十八日の政変後、萩に戻り、高杉晋作の奇兵隊創設に続き、又兵衛も遊撃隊を組織して自ら総督となります。
翌元治元年(1864年)、長州藩の失地回復のために激烈に出兵を主張し、禁門の変の前に家老福原元僴らと共に上洛、薩摩藩・島津久光の暗殺を計画したが失敗。
一旦長州に戻りますが、藩主・毛利敬親に改めて出兵を促し、6月に福原・益田親施・国司親相・久坂玄瑞らと再度上洛。

禁門の変では、又兵衛は風折烏帽子に先祖伝来の甲冑を着込み、自ら遊撃隊600名の兵を率いて、激戦を繰り広げましたが、蛤御門の戦いで、薩摩藩兵の銃撃隊・川路利良の狙撃で胸を撃たれ、甥の喜多村武七に介錯を命じ、自ら槍で喉を突き、首をはねられて死亡。享年48。

又兵衛は、豪快なイメージがあると思いますが、駕籠奉行、大検使役、学習院御用掛などを歴任した能吏でもあり、食事や酒などの細かい出費まで記録していたという几帳面な面もあったそうです。

この神社で写真を撮っていた時、郷土の歴史の研究をされている方に声をかけていただき、この後、又兵衛の生家跡や又兵衛ゆかりの地などに案内していただきました。

生家は、厳島神社の北方約150mの地点にあり、宅地跡は田んぼとなって、「喜多村家旧宅跡」の石柱が田んぼの南側に建っています。

IMG_6511 来島

IMG_6512 来島

喜多村家旧宅跡
IMG_6510 来島

ここに着くまで特に案内の表示もなく、Iさんの案内なくては、到底見つけることができなかったと思います。


「来嶋又兵衛生誕地」を見学後、Iさんに厚狭に連れて行ってもらいました。

JR厚狭駅の前に寝太郎の像があります。

厚狭駅前に建つ寝太郎像
IMG_6517 寝太郎

厚狭寝太郎 (あさのねたろう)

山口県につたわる民話の主人公。
室町時代のころの厚狭郡の庄屋の息子。ねてばかりいることから寝太郎といわれた。3年ほどねてくらしたのち,千石船にいっぱいの草鞋(わらじ)を佐渡の金山で古草鞋と交換。古草鞋についていた砂金を元手に荒れ地に水をひいて田にかえ,農民にわけあたえたという。(コトバンクより)

山口県美祢市にある美祢市立厚保小学校には、来島又兵衛の銅像が建てられています。

来嶋又兵衛銅像
IMG_6520 又兵衛

IMG_6522 又兵衛

これは近くに又兵衛の妻の実家があったためだそう。

昭和9年、地元有志によって建てられましたが、戦時中に金属供出で失われ、平成10 年に再建されました。

IMG_6523 又兵衛

維新の志士 来島又兵衛翁 事蹟

又兵衛翁は、文化14年(1817)小野田市高須の萩藩士、喜多村正倫の次男として生まれ、幼名は亀之進。天保7年(1836)20歳で長門市俵山の萩藩士来島又兵衛政常の養子となり西厚保町本郷の永代大庄屋格の来島清三郎の長女タケと結婚。
 結婚1年後、妻の実家のあるここ厚保小学校運動場の側に居宅、剣術道場を構えました。人並みはずれた、立派な体格の持ち主だった翁は、ここで剣、槍、鉄砲、馬術等すべての奥を極めていきます。
嘉永4年(1851)には家督を継いで来島又兵政久と名乗ります。
 藩主の信任が厚かった翁は、安政2年(1855)には大検使役に、文久元治(1861~64)には江戸御留守居手元役、学習院御用掛、馬関総奉行手元役と藩の要職を歴任しました。
 文久3年(1863)5月下関で外国船を撃つ攘夷戦の際はおおいに奮戦、しかしその直後公武合体派によって攘夷派長州は京都を追放されてしまいます。これに憤慨した翁は攘夷派長州の京都復帰を果たすため、「進発論」を主張し元治元年(1864)遊撃軍を率いて大挙上京7月19日蛤御門において公武合体派の薩摩・会津軍と戦いますが翁自身は薩摩軍に狙撃されて、戦士(48歳)。長州軍は敗走。しかし、翁のこの決死の活躍が慶応元年(1865)正月の高杉晋作決起、明治維新への起爆剤となっていったのでした。明治24年には、正四位が贈られています。吉田松陰先生は翁の人となりを、「飛耳長目」の人、「胆力人に過ぎ清算密思あり」と評されました。
「昭和9年地元有志の努力によって翁の像を建立しましたが、その後像供出によって台座を残すだけとなっていました。幸、明治維新130年にあたる平成10年に翁の功績を後の世まで語り継ごうと、地元の皆さんとともに再び翁居宅ゆかりのこの地に又兵衛像を建立することに致しました。」

平成十一年九月六日

来嶋又兵衛像再建委員会
美弥市教育委員会

来島又兵衛の像の横に世外侯養痍隠晦之處碑(せがいこうよういいんかいのところ)が建っています。

IMG_6525 井上

IMG_6524 井上

世外侯とは井上馨のこと。養痍隠晦とは「傷を養い、隠れ住む」といった意味です。
井上は元治元年(1864 年)9月25 日夜、山口で刺客に襲われ、瀕死の重傷を負いますが、外科の所郁太郎に畳針で傷を縫合してもらい、奇跡的に命を取り留めました。
又兵衛の長男の亀之助は、藩主の命により又兵衛の変名の1つであった森姓を名乗り、森清蔵と改名し、井上馨の末妹の厚子と結婚しました。その縁で、井上は、厚保の来島邸に潜伏し療養していました。

また、銅像の近くの民家に、来嶋又兵衛遺愛の梅の碑があります。

IMG_6529 来島

IMG_6530 来島

Iさん、その節はありがとうございましたm(__)m

FC2ブログランキングに参加しています。
クリックよろしくお願い致します。




にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします!

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

歴女日記ブログランキングに参加しています。
ご協力お願いしますm(__)m


歴女日記 ブログランキングへ 
スポンサーサイト

コメント

NoTitle 

昔は早く結婚するんですね!
  • シネマ大好き娘 
  • URL 
  • 2015年10月06日 04時33分 
  • [編集]
  • [返信]

毛利家分家の高須藩! 

昔、山陽小野田市から美祢市を通って秋吉台へ行ったことがあります。
来島又兵衛のことは知っていましたが、このように詳しくは知りませんでした。
大内文化は栄、大内氏は毛利元就の兄をもつれて京都で政治していたのが戦国時代始めですね!
  • willy_tsuguo_shikata 
  • URL 
  • 2015年10月06日 06時03分 
  • [編集]
  • [返信]

NoTitle 

小学校に銅像とはすごいですね。
食事や酒などの細かい出費まで記録していたとは、ちょっと意外ですね。
応援P

シネマ大好き娘さんへ 

昔は50年生きれば長生きだった時代だから、結婚も早かったのでしょうね。
  • しずか 
  • URL 
  • 2015年10月06日 13時42分 
  • [編集]
  • [返信]

四方さんへ 

今年は春に萩まで行きましたが、秋吉台までは時間が足りず、いけず終いでした。
神社から案内してくださった方のおかげで、来嶋又兵衛のことを詳しく知ることができました。
  • しずか 
  • URL 
  • 2015年10月06日 13時45分 
  • [編集]
  • [返信]

YUMIさんへ 

又兵衛が神経が細かな面も持っていたのは意外でした。

やはり我々は、ドラマなどでの定着したイメージを持ってしまいがちですね。
  • しずか 
  • URL 
  • 2015年10月06日 13時47分 
  • [編集]
  • [返信]

こんばんは。 

 来島海峡は、この人の名前から、付けられたのでしょうか。
 寝太郎の話、佐渡の金山でも聞きました。 近所のわらじ屋の話、だったような気がします。 
 しずか様がただものでは無いと、郷土の歴史かには分かるのですね。

Minoruさんへ 

こんばんは!

来島海峡の由来はわかりませんが、寝太郎の話はいろんなバージョンがあるようですね。

同じものに興味があると、お互い引き合うようですね。
今回も不思議なご縁がありました。
  • しずか 
  • URL 
  • 2015年10月06日 22時27分 
  • [編集]
  • [返信]

NoTitle 

今拝見しました。 写真よくとれていますね。遠路来ていただき小野田郷土史を学ぶものとして、少しお手伝いができ、嬉しく思います。また来嶋又兵衛翁のイメージが豪傑の言葉が先行してましたが、足元を見直すきっかけになります。 高泊の「I」です  
  •  
  • URL 
  • 2015年10月16日 14時32分 
  • [編集]
  • [返信]

Iさんへ 

こんばんは!
その節は大変お世話になりましたm(__)m
お陰様で、又兵衛の生誕地だけでなく、又兵衛フルコースになりました(#^.^#)
やはり、本だけの知識だけでなく、ゆかりの地を自ら歩くことは大切だと改めて実感致しました。
また機会がありましたら、山口を旅したいと思っています。
  • しずか 
  • URL 
  • 2015年10月16日 20時14分 
  • [編集]
  • [返信]

コメントの投稿

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

トラックバック

トラックバック URL
»»この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

左サイドMenu

プロフィール

しずか

Author:しずか
毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

最新記事

最新トラックバック

カテゴリ

光 (3)

FC2カウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
135位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
23位
アクセスランキングを見る>>

アクセス解析

右サイドメニュー