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2015.11/02 [Mon]
井上馨遭難之地
元治元年(1864)9月25日、山口政治堂での藩主の前で開かれた会議で、井上馨は、「征長軍に対し、武備恭順で幕府に対すべきだ」と主張しました。
湯田の自宅への帰る途中、中園町の袖解橋(そでときばし)で、藩庁の反対勢力(俗論党)に襲われ瀕死の重傷を負いました。



現在、山口市立中央図書館の裏側の通りに「世外井上馨候遭難之地」の石碑が建っています。

世外とは井上の号です。

円龍寺

俗論派の壮士の集団、先鋒隊の屯所となったお寺です。

井上を襲撃した俗論派の刺客は円龍寺に集合し、待ち伏せしていました。

その中には、井上馨の従弟・児玉愛次郎、高杉晋作の妻・雅の姉の嫁ぎ先の叔父・周布藤吾、椋梨藤太の次男・中井栄次郎がいたといいます。
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湯田の自宅への帰る途中、中園町の袖解橋(そでときばし)で、藩庁の反対勢力(俗論党)に襲われ瀕死の重傷を負いました。



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世外井上馨候遭難之地!