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2015.11/04 [Wed]
洞春寺 井上馨の墓
洞春寺は、応永11年(1404)大内盛見に国清寺として建てられました。
毛利氏の時代になり、広島の吉田から常栄寺が移り、常栄寺も幕末に宮野に移転。
明治2年(1869)に萩から洞春寺が入り、毛利元就の菩提寺となりました。
また、井上馨を総督とする鴻城隊が、本陣を長寿寺からここ洞春寺(当時は常栄寺)へ移して駐屯しました。
井上馨の分霊が祀られています。
山門(重文)は、大内氏時代の国清寺のものといわれる四脚門です。


鐘楼門



本堂


観音堂

重要文化財。
この観音堂は上宇野令滝の観音寺にあったもので、大正4年(1915)に洞春寺境内に移築しました。
創建は、大内持盛時代の永享2年(1430)とされています。


観音堂の脇を通り、奥に進むと墓地があります。




井上馨は、長州藩士・井上五郎三郎の次男として天保6年(1835)湯田に生まれ、大正4年(1915)9月4日に81歳にて興津で亡くなりました。
東京麻布の長谷寺にお墓がありますが、分骨してこの洞春寺にも墓が作られました。


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毛利氏の時代になり、広島の吉田から常栄寺が移り、常栄寺も幕末に宮野に移転。
明治2年(1869)に萩から洞春寺が入り、毛利元就の菩提寺となりました。
また、井上馨を総督とする鴻城隊が、本陣を長寿寺からここ洞春寺(当時は常栄寺)へ移して駐屯しました。
井上馨の分霊が祀られています。
山門(重文)は、大内氏時代の国清寺のものといわれる四脚門です。


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本堂


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重要文化財。
この観音堂は上宇野令滝の観音寺にあったもので、大正4年(1915)に洞春寺境内に移築しました。
創建は、大内持盛時代の永享2年(1430)とされています。


観音堂の脇を通り、奥に進むと墓地があります。




井上馨は、長州藩士・井上五郎三郎の次男として天保6年(1835)湯田に生まれ、大正4年(1915)9月4日に81歳にて興津で亡くなりました。
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