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2016.04/06 [Wed]
大阪城(2)多聞櫓(続櫓)
それでは、特別公開の櫓に入って行きましょう。
まずは多聞櫓です。
「多聞櫓」の名称の起こりは、大和国多聞城において松永久秀が城門を固める石塁の上にこの様式の櫓を創始したことによると伝えられています。
各地の城に多聞櫓は見られますが、大阪城の多聞櫓が規模においては最も大きいそうです。
寛永5年(1628)に創建されましたが、天明3年(1783)に落雷で焼失し、嘉永元年(1848)に再建されました。現在の櫓は、昭和31年に解体修理されたもので、この櫓の鉄門を大手の大門といい、上部を渡櫓、南に折れ曲がった部分を続櫓と呼んでいます。
多聞櫓は、続櫓の側面から入ります。
入口から渡櫓に向かって「武者走り」と呼ばれる廊下を歩いて行きます。
大手口側には、窓と銃口の穴があり、廊下を挟んで反対側には9畳~12畳の部屋が6つ並んでいます。
これらの部屋は、いざ戦いというときに兵士達が籠城して寝泊りするためにつくられたものです。
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まずは多聞櫓です。
「多聞櫓」の名称の起こりは、大和国多聞城において松永久秀が城門を固める石塁の上にこの様式の櫓を創始したことによると伝えられています。
各地の城に多聞櫓は見られますが、大阪城の多聞櫓が規模においては最も大きいそうです。
寛永5年(1628)に創建されましたが、天明3年(1783)に落雷で焼失し、嘉永元年(1848)に再建されました。現在の櫓は、昭和31年に解体修理されたもので、この櫓の鉄門を大手の大門といい、上部を渡櫓、南に折れ曲がった部分を続櫓と呼んでいます。
多聞櫓は、続櫓の側面から入ります。
入口から渡櫓に向かって「武者走り」と呼ばれる廊下を歩いて行きます。
大手口側には、窓と銃口の穴があり、廊下を挟んで反対側には9畳~12畳の部屋が6つ並んでいます。
これらの部屋は、いざ戦いというときに兵士達が籠城して寝泊りするためにつくられたものです。
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