2016.09/17 [Sat]
石田三成ゆかりの彦根の蓮成寺
彦根の蓮成寺が、この地に建立されたのは1602年のことで、前身は石田三成の居城佐和山城にありました。
1559年、当時の城主・磯崎丹波守員昌(かずまさ)が織田信長の命により法華丸を建立したのが始まりです。
1600年の関ヶ原の戦いで三成が敗れると、法華丸も廃寺となりました。
しかし、彦根藩初代藩主・井伊直政の命令により現在の地に蓮成寺として再建されました。蓮成寺の正面側には彦根藩の足軽屋敷が立ち並び彼らの檀那寺である蓮成寺とともにともに彦根城を守っていましたが、1741年彦根城東中島(現在の馬場一丁目)から出火した火災により焼失。
当寺に祀られている鬼子母神の信仰篤かった彦根藩主奥方より用材の寄進等があり1743年から1746年頃に再建立したものと考えられています。


蓮成寺には、三成が念自仏としていた鬼子母神と十羅刹女が祀られており、普段は秘仏ですが、4月8日及び9月8日に御開帳され、祈願及び法要が行われているそうです。

昭和59年に本堂の大屋根の吹き替えを行った際、降ろされた大軒瓦には寛保三歳(1943年)の銘が、また庫裡の屋根ふき替えの際に降された軒瓦には享延3年(1746年)の銘があり、この頃再建されたものと考えられます。

(蓮成寺HP参照)
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1559年、当時の城主・磯崎丹波守員昌(かずまさ)が織田信長の命により法華丸を建立したのが始まりです。
1600年の関ヶ原の戦いで三成が敗れると、法華丸も廃寺となりました。
しかし、彦根藩初代藩主・井伊直政の命令により現在の地に蓮成寺として再建されました。蓮成寺の正面側には彦根藩の足軽屋敷が立ち並び彼らの檀那寺である蓮成寺とともにともに彦根城を守っていましたが、1741年彦根城東中島(現在の馬場一丁目)から出火した火災により焼失。
当寺に祀られている鬼子母神の信仰篤かった彦根藩主奥方より用材の寄進等があり1743年から1746年頃に再建立したものと考えられています。


蓮成寺には、三成が念自仏としていた鬼子母神と十羅刹女が祀られており、普段は秘仏ですが、4月8日及び9月8日に御開帳され、祈願及び法要が行われているそうです。

昭和59年に本堂の大屋根の吹き替えを行った際、降ろされた大軒瓦には寛保三歳(1943年)の銘が、また庫裡の屋根ふき替えの際に降された軒瓦には享延3年(1746年)の銘があり、この頃再建されたものと考えられます。

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