大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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蓮光寺 長宗我部盛親の墓

六条河原にほど近い下京区の蓮光寺には、駒止地蔵と呼ばれる地蔵尊が安置されています。

IMG_2705 B

IMG_7127 蓮光寺

ある時、平清盛が馬に乗って六条河原に辺りに来たところ、急に馬がとどまって進もうとしなくなりました。不審に思った清盛が、土の中を掘ったところ、地蔵尊が出てきました。そのことから駒止地蔵と呼ばれるようになりました。

IMG_7123 駒止地蔵

この駒止地蔵は、もとは六条河原の刑場に祀られていたと伝えられ、別名「首斬地蔵」とも呼ばれています。

IMG_7120 駒止地蔵

六条河原は、現在の五条通(五条大橋)から正面通(正面橋)の辺りの鴨川沿いの河原一帯で、処刑場、首級の受け渡しの場であり、平治の乱の決戦地にもなったところです。
保元の乱における源為義(処刑場所については船岡山、七条朱雀説もあり)、平忠正、平治の乱における源義平・藤原信頼、治承・寿永の乱(源平合戦)では平能宗、本能寺の変における斎藤利三、関ヶ原の戦いにおける石田三成・小西行長・安国寺恵瓊、大坂の役における長宗我部盛親(蓮光寺の墓地に盛親の墓があります。)・豊臣秀頼の子・国松らがここで処刑され、首級が三条大橋のたもとに晒されました。

IMG_7115 蓮光寺

負別山と号し、浄土宗の寺である。天台宗真盛派の祖、真盛上人の開基にかかり、もと新町通松原にあったが、のち玉譽和尚がここに移して浄土宗に改めた。本堂の本尊は仏師安阿弥作と伝える阿弥陀如来である。その昔、安阿弥が東国の一僧の求めに応じ、阿弥陀如来を作った。安阿弥自らその会心の作なるを惜しみ、この像を取り戻そうとして僧のあとを追って山科のあたりまで行くと、僧の護持した仏像が自ら二体に分かれたので、二人はその各像を背負って東西に別れたと伝えられる。この本尊はその一体であるといわれ、山号もこれに因んだものである。
境内には平清盛の駒を止めたという駒止地蔵や長曽我部盛親の墓がある。
(駒札より)

IMG_7119 蓮光寺

IMG_7118 長宗我部

長曽我部盛親の墓
IMG_7126 長宗我部の墓

IMG_7125 長宗我部

慶長20年(1615年)5月6日の未明、八尾に進出していた長宗我部隊の先鋒・吉田重親が藤堂高虎の軍勢と遭遇した。この時、長宗我部隊の先鋒は軽装備であったためすぐに本隊と合流しようとしたが、逆に藤堂隊にも発見されてしまう。鉄砲を撃ち込まれた先鋒は壊滅し、吉田重親は本隊に伝令を発したのち討ち死にした。藤堂隊は勢いに乗じて長宗我部本隊を殲滅しようと攻勢を強めるが、盛親は川の堤防に兵を伏せ、藤堂隊を十分に引き付けたところで槍を構えた兵を突撃させた。思わぬ猛反撃を受けた藤堂隊の先陣は一気に壊滅、盛親はなおも攻撃の手を緩めなかったため藤堂隊はほぼ全軍が混乱に陥り、高虎の甥の藤堂高刑など前線の将が一度に討ち死にする。統制が乱れた藤堂隊は高虎自身も逃げ回らざるを得ない潰走状態となった。

しかし、盛親隊と並行して若江へ進んでいた大坂方別働隊の木村重成が井伊直孝らの軍勢との戦闘で壊滅し、ほどなく井伊隊が藤堂隊の援軍に駆けつける。この報を受けた盛親は敵中での孤立を余儀なくされ、やむなく大坂城へ撤退した。

5月11日に京都八幡(京都府八幡市)付近の橋本の近くの葦の中に潜んでいたところを蜂須賀至鎮の家臣・長坂三郎左衛門に見つかり捕らえられ、伏見に護送された。その後、盛親は京都の大路を引廻され、そして5月15日に京都の六条河原で斬られた。享年41。これにより、長宗我部氏は完全に滅亡した。京都の蓮光寺の僧が板倉勝重に請うて遺骸を同寺に葬り、源翁宗本と諡名した。

逸話
大坂夏の陣で敗れ、徳川方に捕らえられ白州に引き出された際、自刃もせずに捕らわれたことを徳川方の将兵が蔑むと「命は惜しい。命と右の手がありさえすれば、家康と秀忠をこのような姿にもできたのだ」と言い、「出家するから」とまで言って命乞いをしている。しかし盛親の胸中を知る徳川家康はこれを許さず、死罪に決したという。同じ逸話として秀忠の側近が「何故自害しなかった」と尋ねると「一方の大将たる身が、葉武者のごとく軽々と討死すべきではない。折あらば再び兵を起こして恥をそそぐつもりである」と答えた(『常山紀談』)。
(Wikipediaより)

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*Comment

 

首切り地蔵~怖いです>_<
  • posted by シネマ大好き娘 
  • URL 
  • 2016.12/22 02:56分 
  • [編集]

 

長曽我部盛親の墓が京都下京区の蓮光寺にあるのを知らなかったです!さすが、しずかさんよく知っていますね!感嘆!
  • posted by willy_tsuguo_shikata 
  • URL 
  • 2016.12/22 07:01分 
  • [編集]

 

こんにちは。
きょうは僕の大好きな京都ですね。
それも訪ねたことありのところ。
首切り地蔵は有名なところで、
ドラマにもかつて何度も使われてて、
興味本位で前たずねてみたのでした。
応援ポチ☆
  • posted by マーチャン 
  • URL 
  • 2016.12/22 12:29分 
  • [編集]

 

処刑場だった場所
昔はサクサク処刑されちゃうんだね。
長宗我部氏はここで最後を迎えてしまったんだ。
応援!
  • posted by せいパパ 
  • URL 
  • 2016.12/22 18:00分 
  • [編集]

 

こんにちは。いつもお世話になっております。
何故かわからないけれど、四条から下るときは避けてしまうんですよねぇ。
うーん、何となく?

盛親自身はいい人な印象ですが、個人がどうであれ、その存在自体が厄介なのかなぁ。
旗印にされたら困りものですものね。

今週は真田丸を見返して過ぎました。やはり面白いですね。
  • posted by つねまる 
  • URL 
  • 2016.12/22 18:49分 
  • [編集]

 

こんばんは。

六条や五条という通りの響きをきいただけで、また京都へ行きたい気分になってきています。つい3週間前に行ったばかりだというのに・・・。来年も行けたらいいなぁw
  • posted by にっしー 
  • URL 
  • 2016.12/22 20:12分 
  • [編集]

 

ここらが、処刑場となっていたのですね。
よく考えると、昔から戦いの場となってたくさんの血も流れたのですよね。
応援ぽち2.
  • posted by みかん農家 
  • URL 
  • 2016.12/22 23:20分 
  • [編集]

 

今日は忘年会で
たった今帰って来ました。

訪問だけで失礼します。

応援ぽち
  • posted by よっちん 
  • URL 
  • 2016.12/22 23:24分 
  • [編集]

 

皆様、今日もコメントありがとうございました。

私もここら辺が処刑場となっていたのだと思うと、あまり近づきたくない、長居したくない気分になります。
その土地が昔どのようなところであったのか・・・歴史を遡って知らなければなりませんね。
  • posted by しずか 
  • URL 
  • 2016.12/23 01:44分 
  • [編集]

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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