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2017.05/07 [Sun]
井伊直満の屋敷跡 足切観音堂
井伊谷城の麓、二宮神社の近くに、宗良親王の念持仏、足切観音(非公開)が祀られている足切観音堂があります。
この道の入り口が、通りから少々わかりづらいです(..;)


歴応元年(1339年)、井伊道政とともに南方朝の戦乱に明け暮れていた南朝の宗良親王が、足を負傷し落馬したにもかかわらず、怪我はなく、代わりに観音様のの片足が鮮血に染まっていたという伝説が残っています。
戦国時代は、井伊直虎の叔父であり、井伊直親の父・井伊直満の屋敷になったと伝えられています。
その死後は、直満・直義兄弟、親王の観音様を祀る円通寺になりましたが、後に荒れ果て、三方原の合戦の際に本尊が消失。

現在のお堂は、龍潭寺の住職により慶安2年(1649年)再建されたもので、昭和31年(1956年)円通寺は晋光寺という名になりました。
親王の伝説から足切観音と呼ばれ、足の病気を治す観音様として親しまれています。
わらじが奉納されていました。


慈は心も遠江、井伊谷の里の円通寺、本尊足切観音・・・と念仏和讃で有名なこの寺の菩薩は弘法大師の御作で、南北朝の争乱に二宮宗良親王の御信仰せられた霊仏であります。
時は延元4年(1339年)この辺りは井伊道政を擁し、南北両軍攻防の鎬をけづっておりました。そんなある日、宗良親王は戦乱に中、敵の流れ矢を受け落馬しました。馳せ付けた従者がお介抱を申し上げたところ。魔か不思議や傷は消え跡もありませんでした。
親王はその夜、観音さまの夢を見たので是は日頃正しく信心する観世音の効力によるものとして、翌朝起きると早速参拝し、厨子の扉を開けて見れるならば、どうしたことか観音さまの片足は鮮血に染まり痛々しいお姿でしたので、是は私の身代わりとなって立っておられると、涙を流し益々の信仰を高め終生の守り本尊として祈願なされたと伝わります。
この御持仏堂を護持するために、草創されたのが二宮円通寺なのであります。
追記
宗良親王の去られた後、この二宮御所跡には城主井伊直宗公の御舎弟直満らの舘が設けられておりましたが、直満公の不慮の失陥後は堂を残し荒廃し、武田軍の侵攻による戦火で本尊を残し焼失してしまいました。
龍潭寺十代独兒黙念(どくじもくねん)和尚は之を興し、慶安2年(1649年)観音堂を再建し中興の祖とされております。
円通寺は昭和31年(1956年)、住職不在の為、隣の明円寺と合併し晋光寺となりました。毎年10月18日を開帳縁日とし、遠近より善男女の参詣で賑わっております。
平成元年(1989年)11月吉日 歴史と文化を守る会 引佐支部有志一同
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歴応元年(1339年)、井伊道政とともに南方朝の戦乱に明け暮れていた南朝の宗良親王が、足を負傷し落馬したにもかかわらず、怪我はなく、代わりに観音様のの片足が鮮血に染まっていたという伝説が残っています。
戦国時代は、井伊直虎の叔父であり、井伊直親の父・井伊直満の屋敷になったと伝えられています。
その死後は、直満・直義兄弟、親王の観音様を祀る円通寺になりましたが、後に荒れ果て、三方原の合戦の際に本尊が消失。

現在のお堂は、龍潭寺の住職により慶安2年(1649年)再建されたもので、昭和31年(1956年)円通寺は晋光寺という名になりました。
親王の伝説から足切観音と呼ばれ、足の病気を治す観音様として親しまれています。



慈は心も遠江、井伊谷の里の円通寺、本尊足切観音・・・と念仏和讃で有名なこの寺の菩薩は弘法大師の御作で、南北朝の争乱に二宮宗良親王の御信仰せられた霊仏であります。
時は延元4年(1339年)この辺りは井伊道政を擁し、南北両軍攻防の鎬をけづっておりました。そんなある日、宗良親王は戦乱に中、敵の流れ矢を受け落馬しました。馳せ付けた従者がお介抱を申し上げたところ。魔か不思議や傷は消え跡もありませんでした。
親王はその夜、観音さまの夢を見たので是は日頃正しく信心する観世音の効力によるものとして、翌朝起きると早速参拝し、厨子の扉を開けて見れるならば、どうしたことか観音さまの片足は鮮血に染まり痛々しいお姿でしたので、是は私の身代わりとなって立っておられると、涙を流し益々の信仰を高め終生の守り本尊として祈願なされたと伝わります。
この御持仏堂を護持するために、草創されたのが二宮円通寺なのであります。
追記
宗良親王の去られた後、この二宮御所跡には城主井伊直宗公の御舎弟直満らの舘が設けられておりましたが、直満公の不慮の失陥後は堂を残し荒廃し、武田軍の侵攻による戦火で本尊を残し焼失してしまいました。
龍潭寺十代独兒黙念(どくじもくねん)和尚は之を興し、慶安2年(1649年)観音堂を再建し中興の祖とされております。
円通寺は昭和31年(1956年)、住職不在の為、隣の明円寺と合併し晋光寺となりました。毎年10月18日を開帳縁日とし、遠近より善男女の参詣で賑わっております。
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