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2017.02/19 [Sun]
田原城三の丸に建つ護国神社
田原城三ノ丸は護国神社となっており、渡辺崋山・村上範致・岡田虎二郎など郷土の偉人の顕彰碑が建設されています。



渡辺崋山頌徳碑

隣りに説明板があります。

が・・・わかりません(..;)
そういう方は、お隣りの田原市博物館のお尋ねを~

ということで、直虎関連の旅が、ここから渡辺崋山を知る旅にもなりました。
崋山については、歴史の教科書で「蛮社の獄」のところででてきたぐらいしか知識がありませんでした。
デジタル大辞泉の解説
【渡辺崋山】
[1793~1841]江戸後期の蘭学者・画家。名は定静(さだやす)。通称、登。別号、寓絵堂(ぐうかいどう)。三河田原藩の家老で、海防掛を兼ねた。佐藤一斎に儒学を、谷文晁(たにぶんちょう)に南画を学び、のち西洋画の技法を取り入れて写実的画風を確立。特に肖像画にすぐれた。「慎機論」を著し、幕政を批判したため蛮社の獄に連座して自刃。
この後、崋山の屋敷跡まで訪ねてみました。
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渡辺崋山頌徳碑

隣りに説明板があります。

が・・・わかりません(..;)
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ということで、直虎関連の旅が、ここから渡辺崋山を知る旅にもなりました。
崋山については、歴史の教科書で「蛮社の獄」のところででてきたぐらいしか知識がありませんでした。
デジタル大辞泉の解説
【渡辺崋山】
[1793~1841]江戸後期の蘭学者・画家。名は定静(さだやす)。通称、登。別号、寓絵堂(ぐうかいどう)。三河田原藩の家老で、海防掛を兼ねた。佐藤一斎に儒学を、谷文晁(たにぶんちょう)に南画を学び、のち西洋画の技法を取り入れて写実的画風を確立。特に肖像画にすぐれた。「慎機論」を著し、幕政を批判したため蛮社の獄に連座して自刃。
この後、崋山の屋敷跡まで訪ねてみました。
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NoTitle
渡辺崋山は三河田原藩の家老で会ったのですね!