大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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井伊直親が討たれた掛川の十九首塚

桶狭間の戦いで、敗北した今川家の勢力が弱体化すると、今まで今川家に臣従してきた松平元康(徳川家康)が独立。織田家と同盟を結び、今川家との対決姿勢を見せ、今川家に反旗を翻す在地領主も出てきました。

1562年(永禄5)井伊家の当主となった井伊直親は、遠江を手中にしょうとしていた三河の元康から、今川を見限り徳川に付くよう誘いを受けたとされています。

直親が家康と通じているという嫌疑を、小野但馬守今川氏真に伝えたことから、氏真は激怒。
直親を駿府館に呼び出し、真意を聞くことになりました。

直親は、申し開きのため、19人の従者を連れて、駿府館に向かいますが、その途中の掛川の十九首で、今川氏真の命を受けた重臣で掛川城主・朝比奈泰朝に殺害されてしまいました。

直親の殺害場所とされる十九首は、その地名の由来でもあり日本の各地に伝わる平将門の首塚伝承がある場所です。

平安時代の中頃、関東を拠点に、京都の朝廷に対し反乱を起こした将門は、天慶3年(940)2月14日、下総国猿島(茨城県坂東市)において、平貞盛・藤原秀郷らの軍勢との合戦で敗死。その首は秀郷らによって京に運ばれ、晒し首にされましたが、その首は、将門の故郷へと向かって飛び立ち、途中で力尽き落下したのが各地に伝わる首塚です。
将門の首塚としては東京の大手町にある首塚が有名ですが、掛川の十九首の首塚は敵将の秀郷によって埋葬されたとされるものです。


天慶3年2月14日、平将門を滅ぼした秀郷は、将門、家臣19人の首級を持って京に上る途中、京からの検視役と掛川で出会いました。
秀郷は、小川で将門たちの首を洗って橋にかけ、検視を受けました。朝廷の使者は、検視が済むと首を捨てるよう命じましたが、 秀郷は、「将門は、逆臣とはいえ、名門の出である。その屍に鞭打つことはしてはならない。」と言い、 十九人の首を別々に埋葬して、丁寧に供養しました。

東光寺の山門
IMG_5088 東光寺

本堂
IMG_5093 東光寺

IMG_5094 東光寺

東光寺の本堂左側から奥に進むと、墓地があり、向かい側の整備された公園に、十九首塚があります。

IMG_5096 十九首塚

昔は19基あったものが時代と共に減ってゆき、将門のものと思われる大きな1基だけが残されたといわれています。その後、将門の首塚を取り囲むようにして18基の首塚が新しく作り直されました。地元では首塚を町の守り神として、彼岸と命日にあたる8月15日に供養祭が行われています。(掛川市観光情報サイトより)

旧十九首塚
IMG_5097 十九首塚

この十九首塚がある十九首町は、地元の人からは「じゅうくしょ」と呼ばれるそうで、町の名前になっています。現在の東光寺南側の下俣川という小川で首を洗ったといわれ、血洗川と呼ばれました。そして川に架かる橋に首をかけて首実験を行ったことから、「懸川」→「掛川」という地名になったとする説があります。

IMG_5098 十九首塚の由来

十九首塚の由来

ここは「平将門」の首級を祀る十九首塚です。人皇61代朱雀天皇の御代、関東下総の国(茨城県)相馬郡猿島に、桓武天皇の5代の孫で、相馬小太郎将門という武将がおりました。承平5(935)年、一族の内訌を契機として、将門は、常陸を始め関東一円を占拠、自ら新皇と称し律令国家に対抗する国家を企てた。この叛乱に、朝廷から大規模な将門征討が興味され、平貞盛、藤原秀郷らにより、将門は天慶3(940)年2月14日滅ぼされました(天慶の乱)。秀郷は将門をはじめ一門の家臣十九人の首級を持って京に上る途中掛川の宿まで来ました。一方、京からは検視の勅使が派遣されこの地(現在の十九首待ち)の小川(東光寺南血洗川)で首を洗い、橋に架け検視を受けました。首実検の後、秀郷は「将門は逆臣なりとも、名門の出である。その罪重しといえども、今や滅びて亡し。その死屍に鞭打つは礼に非ず。」と十九の首を別々に埋葬し、懇ろに供養しました。時は天慶3年8月15日でありました。この後、歳月の流れと土地開発等の為、移動し現在地に移りました。ここ十九首塚には、葬られた十九人の詳細な名前が残されています。地名の由来も十九の首塚があったところから十九首町と呼ぶようになりました。町民は、首塚を町の守り神として春秋二季の彼岸と8月15日の命日には供養祭を行い、今日まで続いております。 平成14年3月

将門公とともに供養されている武将

相馬小太郎将門、鷲沼庄司光則、武藤五郎貞世、御厨別当多治経明、大葦原四郎将平、鷲沼太郎光武、堀江入道周金、御厨別当文屋好兼、大葦原五郎将為、隅田忠次直文、御厨三郎将頼、藤原玄茂、大葦原六郎将武、隅田九郎将貞、東三郎氏敦、藤原玄明、大須賀平内時茂、長橋七郎保時、坂上遂高

井伊直親についての案内板が新しく設置されているかと思い、久しぶりに訪ねてみたのですが、この幟しかありませんでした。

IMG_5095 十九首塚

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Comment

NoTitle 

19
人の首ですか!>_<
  • posted by シネマ大好き娘 
  • URL 
  • 2017.03/24 05:09分 
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NoTitle 

東京の大手町の首塚は見て記事にしてますが、掛川の東光院の平将門一行19人の首塚の件は始めて知りました。ここで井伊直親一行も殺されたのですね。
  • posted by willy_tsuguo_shikata 
  • URL 
  • 2017.03/24 06:15分 
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NoTitle 

こんにちは。
徳川家康がここから出てくるんですね。
今川もなんともならなくなってしまうわけですか。
応援ポチ☆
  • posted by マーチャン 
  • URL 
  • 2017.03/24 16:28分 
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こんばんは 

こんばんは。
将門の首塚は各地にあるのですか。
私は大手町しか知りません。
ビルの一角ですよね。
そこだけだと思ってました。(笑)
  • posted by 自転車親父 
  • URL 
  • 2017.03/24 23:06分 
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NoTitle 

首塚がここにもあったのですね。
その場所で、また殺害されるなんて
あまりいい場所ではないですね。
応援ぽち2.
  • posted by みかん農家 
  • URL 
  • 2017.03/24 23:35分 
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皆様へ 

こんばんは!
今日もコメントありがとうございました。

この直親一行が殺されたとされる十九首塚・・・平将門の伝説に重ねられた感がありますが、地名として今でも残っていると、何かしらあったのでは?と想像してしまいますね。
さて、日曜の夜はどんなストーリーになってるのでしょうか。
楽しみですね。
  • posted by しずか 
  • URL 
  • 2017.03/25 02:20分 
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