2017.03/27 [Mon]
東光院の井伊直親の墓
浜松市北区引佐町渋川にある東光院



東光院は、井伊直虎の許嫁であった亀之丞(後の井伊直親)が一時、身を寄せた寺院です。
臨済宗方廣寺派に属します。
天文13(1544)年、亀之丞の父である井伊直満とその弟の井伊直義が謀反の疑いをかけられ、今川義元によって駿府で殺害されました。
事件の後、直満の息子である亀之丞の命も狙われたため、家臣の今村藤七郎に背負われて領内の黒田山中からこの寺に逃げ込んでかくまわれますが、追っ手がさらに迫ったため、信州の松源寺に移りました。
天文14(1545)年正月の3日の夜、亀之丞が松源寺へ向けて出発した直後、渋川大平にて右近次郎に弓矢にて追撃をうけるも、危うくその場を脱出することができました。
亀之丞が井伊谷に戻るのは事件の11年後、弘治元(1555)年のことです。(案内板より)
薬師堂


この薬師堂は、山寺地区にあった万福寺の支堂で、戦国時代天文24年(1555年)に井伊直盛公が開基し、薬師如来、日光、月光、月光両菩薩、四天王、十二神将の十九体が祀れ、信仰を集めてきました。その後、江戸中期に東光院の脇へ移転しました。明治40年(1907年)東光院が西平の西光院と合併した折に、堂内の仏像を竹馬寺に預けました。
明治9年(1876年)渋川小学校建設による六所神社の移転に伴い、竹馬寺は久井田地区に新築され仏像も移されました。
(案内板より)
本堂

鐘楼

境内には井伊直親の墓もあります。
右が井伊直親、左が開山・ 幽泉の墓

直親

幽泉

境内からの眺め

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