大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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亀之丞(井伊直親)ゆかりの地と桜守の旅(6)亀之丞の子孫が営む嶋田屋こうじ店

福姫の墓の見学後は、亀之丞のご子孫が営む嶋田屋こうじ店

IMG_6545 嶋田屋

亀之丞は、市田郷の松源寺に匿われた10年余の間に、嶋田村(現飯田市松尾)の代官・塩沢権三郎の女との娘と恋仲になり、一
吉直をもうけます。

IMG_6556 亀之丞

吉直は母の実家の塩沢家で養育され、数代の後、飯田城下大横町に出て麹屋を創業。

5代目から井伊氏を名乗り、吉右衛門を襲名。
嶋田屋として麹屋を始め、飯田藩ご用達に。明治になり、9代当主・井伊清一郎は蘭学を志し、長崎へ行き医者になりました。

長男の清一郎が麹屋を継がなかったため、次男の徳五郎が継ぐことになり、明治10年飯田西麹屋を近くの後藤三右衛門ゆかりの後藤屋敷、間口四間半購入分家し今に至るそうです。

IMG_6558 嶋田屋

こちらが27代店主の井伊徳広さん

IMG_6554 嶋田屋

店内に飾られている家系図で、飯田井伊家の説明をしてくださいました。

IMG_6551 嶋田屋

亀之丞が吉直に与えた短刀が、飯田井伊家に家宝として伝わっており、この短刀は、現在、埼玉県所沢市在住の井伊さんが所有しているそうです。

店内では甘酒の試飲のサービスがありました。
濃厚なお味で、久しぶりに本物の甘酒を飲んだ感じでした😄

味噌の他、甘酒、こうじが販売されています。

ここでお土産購入。

IMG_6549 嶋田屋

私はもろみ味噌をお土産に。

こちらの信州味噌で作ったカレーも人気だそうですよ。

そして、帰りに後藤三右衛門誕生地の前を通りかかりました。

IMG_6559 後藤三右衛門

IMG_6560 後藤三右衛門


後藤三右衛門

後藤庄三郎家は慶長時代から徳川氏に仕え、金座や銀座を支配した商家であったが文化7年(1810年)に取り潰され、分家の三右衛門方至がその地位を継いだ。文化13年(1816年)、信濃国飯田城下大横町の商人である林弥七言政の四男、奥輔が方至の婿養子となり三右衛門家を継ぎ、金座御金改役となった。その際、奥輔から光亨に改名している。光亨は文化5年(1808年)から3年間上洛し、猪飼敬所に漢学、経学を学んだ。
文政2年(1819年)に貨幣改鋳を実施し、文政小判の鋳造を開始した。老中の水野忠邦が台頭すると鳥居耀蔵や渋川敬直と共に「水野の三羽烏」と呼ばれ、経済面でのブレーンとなり、天保通宝を鋳造を建策し、天保6年(1835年)閏9月より鋳造が開始された。寛永通宝一文銭のおよそ8枚分の重量にして百文銭とする天保通宝は高く評価され、短期間で大量に鋳造され、後藤家に多くの収益をもたらした。天保8年(1837年)、再び改鋳を実施し、天保小判の鋳造を開始した。これらの改鋳によって、幕府には多大な改鋳利益がもたらされた。
天保13年(1842年)、物価高の原因は天保二朱金や天保小判のような悪貨発行の連発にあるとする上申書を忠邦に提出した。物価の高騰はもとより忠邦による天保の改革の趣旨に反することからこの上申が容れられ天保小判の鋳造は一時中断するが、天保14年(1843年)9月の老中首座であった忠邦の失脚により天保15年(1844年)9月から鋳造が再開された。
弘化元年(1844年)5月、江戸城本丸が火災により焼失した。老中首座の土井利位はその再建費用を集められなかったことから徳川家慶の不興を買ったため、忠邦は半年後の6月21日に老中首座に復帰し、失脚の際に自身を裏切った勘定奉行兼南町奉行鳥居耀蔵の追放に動く。この際に三右衛門は同じく忠邦の周囲にいた渋川敬直と共に、鳥居を裏切って讒言した。鳥居は同年9月に職務怠慢及び不正を理由に解任された。しかし、忠邦の老中再登用は老中の土井利位や阿部正弘らの反発を招き、弘化2年(1845年)、阿部により三右衛門から忠邦への16万両の贈収賄が暴かれた。老中首座に返り咲いたが、往年の権勢を取り戻すことができずにいた忠邦は同年2月に老中を辞職。同年9月、忠邦は領地より2万石を減封されて5万石となり、強制隠居・謹慎が命じられた。家督は長男の忠精に継ぐことを許されたが同年11月30日に出羽国山形藩に懲罰的転封を命じられた。
同じく10月3日、鳥居は讃岐丸亀藩主京極高朗にお預け[1]、同日に渋川も豊後臼杵藩主稲葉観通にお預けとなり、三右衛門は同日に斬首、三右衛門家は断絶となった。墓所は東京都江東区三好の雲光寺。
この事件の発覚により天保通宝の鋳造は一時中断されるが、弘化4年(1847年)から再び鋳造が再開された。(Wikipediaより)

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Comment

NoTitle 

亀之丞は、市田郷の松源寺に匿われた10年余の間に、嶋田村(現飯田市松尾)の代官・塩沢権三郎の女との娘と恋仲になり、一子吉直をもうけ,麴屋を設け現在まで続いているとは!不思議な感じです。又江戸幕府の金座や銀座を支配した商家であったが後藤本家は取り潰され、分家の三右衛門方至がその地位を継いだ。文化13年(1816年)、信濃国飯田城下大横町の出身であったこと始めて知りました!
  • posted by willy_tsuguo_shikata 
  • URL 
  • 2017.04/17 05:32分 
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NoTitle 

こんにちは。
亀之丞のことをこのようにして、
見せて聞かせていただくといろいろと、
よくわかりたのしくなりますが、
いかんせんすぐ忘れちゃってダメです。
応援ポチ☆
  • posted by マーチャン 
  • URL 
  • 2017.04/17 12:35分 
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NoTitle 

信州、とりわけ
諏訪の方に行った時には
必ずお味噌を買って帰ります。

大阪の味噌よりも美味いんですよねぇ。

応援ぽち
  • posted by よっちん 
  • URL 
  • 2017.04/17 20:50分 
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こんばんは 

こんばんは。
ご子孫が麹屋を。
また良く続いたものですね。
なかなか続けるのは難しいでしょうからね。
  • posted by 自転車親父 
  • URL 
  • 2017.04/17 21:48分 
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NoTitle 

子孫がこの方なのですね。
自分の家系図というのは知らないですが、
例え有名でなくともそういったことがわかるのもいいですね。
応援ぽち2.
  • posted by みかん農家 
  • URL 
  • 2017.04/17 22:21分 
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皆様へ 

こんばんは!
今日もコメントありがとうございました。

井伊家は存続の危機があった中、よく続いたと思います。
飯田井伊家のことは前から気になっていたので、この機会に行くことができて良かったです。
  • posted by しずか 
  • URL 
  • 2017.04/18 02:14分 
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