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2017.08/25 [Fri]
小野篁ゆかりの井戸 六道珍皇寺
京都の行く度に、何度か訪れた六道珍皇寺

平家一門の館があった六波羅の地は、鳥辺野の端にあたるため、現世と冥界の接点と考えられ、六道まいりの信仰を集めました。

六道珍皇寺は、建仁寺の塔頭で、古くは愛宕寺と呼ばれました。
平安・鎌倉時代には東寺を本寺として隆盛しましたが、その後衰退。
室町時代に再建され、臨済宗に改められました。
平清盛が死去した後、荼毘に付したのが六道珍皇寺辺りだといわれています。


六道珍皇寺には、閻魔像と小野篁像が並んで安置され、小野篁にまつわる奇怪な伝説があります。
小野篁は、平安初期の政治家であるとともに歌人・学者としても有名で、あの遣隋使で有名な小野妹子の子孫にあたり、孫には小野道風がいます。そして、小野政次もその小野家の末裔といわれています。
小野篁には奇怪な伝説、逸話が残されており、180cmを越える巨漢で、昼間は朝廷、夜は閻魔庁に勤め、閻魔大王の諮問役をしていたといいます。
北区紫野には、小野篁と紫式部の墓が建ち並んでいます。
二人の関係は?というと、愛欲におぼれた物語を書いたという罪で、閻魔大王の前に引き出された式部を篁が取り成したという話があります。
また今昔物語集には、恩人の藤原良相が亡くなった際、閻魔大王に取り成して命を助けたという話もあります。

盂蘭盆会の六道まいりは有名で、この日に撞く鐘を「迎え鐘」と呼び、精霊を冥界から呼び戻すといわれています。

ここが篁が夜ごと冥府通いに使っていたという井戸です。


※これは、2012年の特別公開で撮影したもので、普段は遠くから格子の隙間から覗くことしかできません。
井戸は京都市街を通って、嵯峨野の清涼寺横の井戸にも続いているという噂まであります。
こんなのが残されていると、伝説はまんざら嘘ではない気がしてきます。
あの世への入り口と書かれていると、ちょっとびびりますよね(゚△゚;ノ)ノ
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六道珍皇寺は、建仁寺の塔頭で、古くは愛宕寺と呼ばれました。
平安・鎌倉時代には東寺を本寺として隆盛しましたが、その後衰退。
室町時代に再建され、臨済宗に改められました。
平清盛が死去した後、荼毘に付したのが六道珍皇寺辺りだといわれています。


六道珍皇寺には、閻魔像と小野篁像が並んで安置され、小野篁にまつわる奇怪な伝説があります。
小野篁は、平安初期の政治家であるとともに歌人・学者としても有名で、あの遣隋使で有名な小野妹子の子孫にあたり、孫には小野道風がいます。そして、小野政次もその小野家の末裔といわれています。
小野篁には奇怪な伝説、逸話が残されており、180cmを越える巨漢で、昼間は朝廷、夜は閻魔庁に勤め、閻魔大王の諮問役をしていたといいます。
北区紫野には、小野篁と紫式部の墓が建ち並んでいます。
二人の関係は?というと、愛欲におぼれた物語を書いたという罪で、閻魔大王の前に引き出された式部を篁が取り成したという話があります。
また今昔物語集には、恩人の藤原良相が亡くなった際、閻魔大王に取り成して命を助けたという話もあります。

盂蘭盆会の六道まいりは有名で、この日に撞く鐘を「迎え鐘」と呼び、精霊を冥界から呼び戻すといわれています。

ここが篁が夜ごと冥府通いに使っていたという井戸です。


※これは、2012年の特別公開で撮影したもので、普段は遠くから格子の隙間から覗くことしかできません。
井戸は京都市街を通って、嵯峨野の清涼寺横の井戸にも続いているという噂まであります。
こんなのが残されていると、伝説はまんざら嘘ではない気がしてきます。
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NoTitle
今日は久しぶりに仕事いきますね~>_<