大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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天林寺(2)新選組・中島登の墓碑

天林寺の境内は、国道によって分断されており、歩道橋を渡って墓所に行けます。

IMG_0478 天林寺

IMG_0471 天林寺

IMG_0476 天林寺

墓所には、新選組中島登の墓碑、中島家累代の墓があります。

Nakajima_Nobori.jpg

IMG_0472 中島登の墓碑

中島登は、浜松に定住し、商売をいくつかした後、中島鉄砲火薬店を開業し、浜松にて死去しました。

IMG_0473 中島登の墓碑

法名 隆慶院孝庵義忠居士

碑文
中島 登初名峯吉字は忠義、天保九年二月二日武州八王子在小田野に生る。十九歳にして下思方山本満次郎につき天然理心流剣術、併びに柔術棍法静流薙刀を学び観世流小謡小笠原流礼法をも修行す。初め千人同心隊に属せしも元治元年二十七歳を以て新選組に入隊、隊長より武相甲三国の地理及び人気をはかる事を命ぜられ単身只管任遂行に当る。慶應四年一月東軍鳥羽伏見の戦に利あらず江戸に引揚ぐるや過去活動の成果を引つ提げ新選組頽勢の建直しに力を尽し、土方歳三に従い甲州流山宇都宮日光会津仙台と転戦遂に函館五稜郭に勇戦して敗る。幽因中戦友二十七人の絵姿、覚之書を残す。解き放されてより縁あつて浜松に留まり銃砲火薬店を開いて定住す。葉蘭種育に妙趣あり。明治二十年元旦、たかくとも五十の峠を安安と越ゆれば御代の春ぞ長閑けき と詠じ同年四月二日行年五十歳を一期として卆然波乱の生涯を閉ず。
維 昭和五十二年九月吉日  曾孫 中島登 誌之

中島家累代の墓
IMG_0474 中島家累代の墓

IMG_0475 中島家累代の墓

中島 登(なかじま のぼり、天保9年2月2日(1838年2月25日) - 明治20年(1887年)4月2日)は、新選組隊士(伍長)。

天保9年2月2日(1838年2月25日)、武州多摩郡小田野(現在の東京都八王子市西寺方町)の農家に長男として生まれる。幼名は峯吉、後に登一郎。父は中島亦吉、母は中島イチ。
安政3年(1856年)9月頃、19歳で天然理心流・山本満次郎に入門。安政4年(1857年)、同郷の安藤マスと結婚。長男・歌吉(後、登一郎)が生まれる。その後、八王子千人同心に所属したが、同僚の1人と衝突して斬殺した為、親戚家(井上益五郎家)に逃れる。
元治元年(1864年)、新選組に入隊。近藤勇の命で武州・甲州・相模の地理調査等を秘密裏に行っていたといわれる。慶応3年(1867年)、新選組伍長に就任。慶応4年4月3日(1868年4月25日)、流山で近藤が新政府軍に投降した際には、同行役の薩摩藩士・有馬藤太を追尾したが、監視は厳しく虚しく帰った。
土方歳三や島田魁ら数名の新選組隊士らと共に、大鳥圭介ら旧幕府軍と合流して宇都宮の戦い・日光口の戦い・会津戦争に転戦(登は、会津戦争で重傷を負った彰義隊隊士・大島清慎を救護所まで運んだと言う)。仙台で更に榎本武揚ら旧幕府海軍と合流して蝦夷地へ渡る。箱館戦争では弁天台場第2分隊嚮導役となった。
明治2年5月15日(1869年6月24日)、降伏。弁天台場で謹慎後に青森に送検され、同6月9日(7月17日)に弘前藩、7月21日(8月28日)、青森へ戻り、3ヶ月謹慎。10月24日(11月27日)、弁天台場に戻り、約5ヶ月謹慎した。明治3年(1870年)5月上旬、静岡藩お預けになり、中旬には赦免。多摩に帰還する。
静岡藩の開墾に尽力し、自分の田地を人々に譲渡した。また、浜松にて元彰義隊隊士、当時浜松裁判所・登記所代書だった大島清慎と再会している。浜松に定住し、明治12年(1879年)2月19日、長男・登一郎を浜松に呼び寄せる。明治15年(1882年)、魚屋沢木半平の長女・ヨネと再婚している。
この頃は商売をいくつか始めており、はじめ旧幕臣と協力して質屋を経営するが失敗する。明治14年(1881年)、趣味で栽培していた葉蘭に偶然新種が誕生し、品評会にて「金玉廉」と名付けられて爆発的な売れ行きとなるが、馬が親株を食べてしまった為商売終了。明治17年(1884年)には「鉄砲火薬売買人」免許を取得し、中島鉄砲火薬店を開業した。
明治20年(1887年)4月2日、浜松にて死去。享年50。墓は浜松市中区下池川町天林寺。戒名は隆慶院孝庵義忠居士。
(Wikipediaより)

浜松に新選組の隊士の墓があるとは意外なことでしょう。

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Comment

NoTitle 

中島登さま、知りません~>_<
  • posted by シネマ大好き娘 
  • URL 
  • 2018.02/09 04:44分 
  • [Edit]
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NoTitle 

天林寺の新選組・中島登の墓碑の家紋は小生宅のとよく似ています!
  • posted by willy_tsuguo_shikata 
  • URL 
  • 2018.02/09 13:41分 
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NoTitle 

こんにちは。
わたくしも中島登は、
知らなくて恥ずかしいかぎりですから、
勉強させていただいています。
そうですか鉄砲火薬ですか。
応援ポチ☆
  • posted by マーチャン 
  • URL 
  • 2018.02/09 14:15分 
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NoTitle 

こんにちは。
わたくしも中島登は、
知らなくて恥ずかしいかぎりですから、
勉強させていただいています。
そうですか鉄砲火薬ですか。
応援ポチ☆
  • posted by マーチャン 
  • URL 
  • 2018.02/09 14:15分 
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こんばんは 

こんばんは。
国道で分断されたお寺って珍しいでしょう。
面白いですね。
なかなかお寺は移転できませんからね。
東京の環状八号線が一部だけなかなか開通しませんでした。
そこはお寺があったのです。
  • posted by 自転車親父 
  • URL 
  • 2018.02/09 21:27分 
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NoTitle 

新鮮組で生き残っての生涯をここでおえられたのですね。
応援ぽち2.
  • posted by みかん農家 
  • URL 
  • 2018.02/09 21:42分 
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NoTitle 

新撰組というものが
私にはイマイチ理解できないというか
歴史的な意義がわからないんですよ。

もっと勉強しないといけませんね。

応援ぽち
  • posted by よっちん 
  • URL 
  • 2018.02/09 22:50分 
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皆様へ 

こんばんは!
今日もコメントありがとうございました。

まさか浜松に新選組の元隊士が住んでいたとは今まで知りませんでした。
中島鉄砲火薬店は、今は閉店し、建物だけ残っているそうですが、私の父はその店を知っていました。
地元のことはまだまだ知らないことが多いです(^^ゞ


  • posted by しずか 
  • URL 
  • 2018.02/09 22:57分 
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